冊子:止揚連載:福井達雨 著『負けいくさにかける(93)』を、止揚学園のご好意により、4部に分けて転載します。(2010/07/31発行)
・人間は偉大ではないのです(1/4)
・人間は旅人です(2/4)
・悲しいことあらへん(3/4)
・おじいさんは無職か(4/4)
《 悲しいことあらへん 》
「お父さんの容態は、今日は特別な変化はないと思いますよ」というお医者さんの言葉で、私はよし子さんと、止揚学園に帰ってきました。 次の日、夜中二時頃、よく寝ていたよし子さんが突然、起きてきて、宿直をしていた仲間の保母さんたちに「良三」と大きな声で叫びました。「良三」とはよし子さんのお父さんの名前で、いつも彼女はお父さんのことを大声で「良三」と呼び捨てにしていました。
その度に私は、「よし子さん、良三と言わないでお父さんと言いなさいよ」 と注意をしていたのですが、彼女は、「なんでや」と大声で言い、ニコニコするだけでした。
いつものよし子さんはぐつすりと朝まで寝て、途中で起きない女性なので、保母さんたちは不思議に思い、驚いたのですが、「お父さんのことで一日バタバタしたので疲れて、夢を見て、寝ぼけたんでしょう」ということになり、よし子さんを布団に寝かせたのですが、実はこの時間にお父さんが天上に旅立たれたことが後で分かりました。
私は (よし子さんはお母さんを二十年程前に亡くしているので、お父さんの心の中には彼女のことが深くあったんやろうなあ。そやから、天国に入る前に夢枕に立ち、彼女を励ましに来はったんや。お父さんはよし子さんを本真にかわいがっていやはったんやなあ)とシミジミと思い心が熱くなりました。
よし子さんが意識不明のお父さんに出会った時、私は彼女が無表情なので、(どう思っているのかわかりませんでした)と前述しましたが、しかし、それは間違いでした。
お父さんが亡くなつた夜、よし子さんは大きな声で「良三」と何度も呼びました。この「良三」という呼びかけに、私は彼女のお父さんへの優しい思いを深く感じたのです。そして、(よし子さんとお父さんは止揚学園と家とにわかれて別々に生活していやはったけど、心はいつも一つに結びついていたんやなあ)と強く感じました。
よし子さんが病院で最後にお父さんに出会つた時、見える所では何も感じていないように私の目には映ったのですが、本当は見えない心の中で父と娘がいろいろなことを話し合つていたのだと思います。
知能に重い障害を持った仲間たちは、私たちよりもずっと深い感性を持っています。感性は見えないものですから、私たちは(この仲間たちが何も感じない、何も分からない人たちだ)と思っていますが、それは大きな間違いなのです。よし子さんはお父さんの死を誰よりも、もっと強く感じていたのです。私は今、それがわからなかった高慢な心に深い謝りを持っています。
さて、止揚学園に入園している多くの仲間たちは死を明るく受け止めています。
数年前のこと、母親の死を笑顔で見送っているまり子さんに、不思議に思って、「まり子さん、お母さんが天国に行かはったのに悲しいことはあらへんの」と尋ねました。彼女は答えました。
「悲しいことあらへん」
「なんでや」
「お母さん、イエスさまの所に行かはったもん。待ってくれたはる」
私はその答えにドキッとしました。まり子さんは死を終わりや最後ではなくて、別れと考えていたのです。別れは再び出会えるという意味があります。(お母さんは自分よりも先に神さまの側に行って、自分を待ってくれている。いつかは、また出会う日がある。そして、死は人生の続きで、神さまの側に行く通過点だ)と捉えていたのです。(死をまり子さんのように考えることができたら、涙の悲しさでなく、明るい心で迎えられるなあ、まり子さんって凄い女性やなあ)とその時に感動したことを思い出します。だから、入園している仲間たちは死を明るく迎えることができるのです。
さて、よし子さんのお父さんの前夜式は二日後に持たれました。その日私は茨木にある女子大学に自動車で二人の仲間の保母さんと講演に出かけました。
名神高速の竜王インターを入ると、高速道路が工事中で茨木インターまで、ほとんど一車線規制になつていて、渋滞していました。
講演が終わり、帰りも高速道路は渋滞でした。よし子さんを連れて、お父さんの前夜式の式場に午後五時までに行くことになつていたので、私の心は急ぐのですが、自動車はノロノロしか走りません。いつもより二時間程遅れて竜王インターを出ました。しばらく走っていると、突然、携帯電話のメロディーが鳴りました。
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