負けいくさにかける(94) [重い知能障害をもつ人たちの中で]
滋賀県東近江市 止揚学園リーダー・福井達雨氏筆《2/4》
※本記事は止揚学園のご好意により、冊子止揚連載記事を転載しております。
今回は百五歳を迎えられた福井先生のお父上を語り、そして老境を迎えて感じる幸せを語っておられます。 本記事は「その二、本当に生きているの」です。
二、本当に生きているの
今は「プライバシー」をおかさないことを厳しく問われている時代です。私はその中で、(プライバシを強く言いすぎると人間の繋がりが薄くなり、連帯感や支え助け合う心が希薄になって、人間関係が冷たくなるなあ)と思えてならないのです。
私の父親は百五歳になりました。私の住む東近江市では一番、滋賀県では男性の最高齢者です。 敬老の日が近づくと、止揚学園に父親を県知事や市長が訪ねてくれました。儀礼的な訪問でしたが、父親はとても喜んでいました。
この頃、いろいろな人に
「父親が百五歳になったんや」と自慢をすると、
「本当に生きておられるの」とよく疑いの目で尋ねられます。
「大丈夫。元気でピンピンとしてます」
と答え、尋ねた人たちと大笑いをするのですが、こんな会話をしなければいけない社会は、本当に寂しい社会です。
この頃、日本の高齢者で住民票では生存していても、その居住の場所を訪ねると家がなかったり、住んでいなかったり、居る筈がない老人がいるという不思議なことがあちこちで起きています。私は肉親の人たちが、
「親はどこに行ったのか、どこに住んでいるのかは分かりません」
と答えている姿をテレビで見て、どうしてもその答えが理解できず、(日本の家族関係はこんなに冷たくなってきているんやなあ)と恐ろしさすら感じています。
私の子どもの時代は(プライバシーをおかさないように)という考え方はほとんどなくて、御節介やきで面倒見のいいおじさんやおばさんがいて、ズカズカと隣や近所の家に入ってきていました。その行動で、今起きている高齢者問題はほとんどありませんでした。
しかし、今はプライバシーが強調され、このズカズカ人間が少なくなりました。私は「御節介やき」とは優しい心、「面倒見がよい」とは温かい思いやりと考えています。
今、日本の高齢者問題の現実の場に立たされて、(人間のつながりが薄くなればなるほど、この利己的個人主義社会の中で、助けを必要としない強い側に立つ人間は生きられても、弱い側に立たされた人間は、これから、もっともつと生きづらくなるなあ)と心が重くなる私です。
この頃、日本の高齢者、特に男性は二、三日に一度ぐらいしか会話をする機会がない老人たちが増え、一日壁を見ていたり、メールを打ったりしているとのことです。また、お金を持っている老人は会話のできるロボットを買って、寂しさを紛わしているということも聞きました。老人にとって何と孤独な、寂しい社会なのでしょうか。
私は子どもの時、近所の老人の所によく遊びに行きました。そして、昔の話や民話を聞かせてもらい、(おじいさんは物知りや。凄いなあ)と尊敬の念を感じました。今から考えると、あの時代、老人は子どもと仲良く助け、支え合っていた楽しい時代でした。この風景はどこに行ったのでしょうか。遠い昔の話になってしまいました。
現代は能力主義、実力主義の時代で、賢い者、強い者が優先されています。この風潮はこれから、もっと強くなつていくことと思います。そして、早晩(弱い人間は生きる意味がないと考えられ、あの第二次世界大戦中のように、「戟争に役立たない弱い人間は人間ではない」という人間観が強くなっていくんやないかなあ)と心配をしています。
さて、前述したように私の父親は百五歳を迎えました。この父親は1925年頃、韓国から日本に渡ってきました。そして、私の母親となった日本女性と恋愛結婚をして、1932年、私が長男として誕生し、その後、一人の妹と二人の弟が生まれました。はっきりは分からないのですが、私の前に兄か姉がいたようです。この時代、韓国人差別が強く、結婚するのは親戚や友人の反対もあり、とても難しいことが沢山あったのだと思います。
その中で、愛の結晶ができ流産したのか、中絶したのか、それは定かではありません。私は幼稚園の時、その兄か姉のお墓参りに行った記憶がぼんやりとあります。
私は (差別を受けながら、いろいろな悲しみや苦しみを乗り越えて結婚した父親と母親は、ほんまに深い、強い愛を持っていたんやなあ)とその優しさに心打たれてきました。
私が生まれる前、父親は日本に帰化をし、日本人になっていたので、私は生まれた時から日本人として今日まで歩んできました。そのために、私には韓国人の血が混っていますが、(僕は日本人やなあ)という意識しかありません。
『追記』 冊子止揚と一緒にクリスマス会の案内が届きました。ずいぶんと長いあいだ、クリスマス会には訪問できていませんが、今年はお陰様にて地価公示をリタイアしておりますから、ゆっくりと訪問がかないそうです。停年を少し残した地価公示リタイアはやや寂しいことですが、クリスマス会訪問がかなうことは嬉しいことです。
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