百舌鳥

柿や梅の剪定を続けている。 剪定して切り落とした枝と一緒に、春先に刈り込んだまま畑の隅に積んであった太い枝を風のない日には燃やしている。 今日で剪定は主なところが終わり、積んであった枯れ枝も全て焼却し終えた。 柿畑も梅畑も樹の下を掃除して、樹勢も整えたから、畑が美しく広々と見える。 春先に母の介護のあいまに始めた仕事だが、ようやくに一区切りがついたといえる。


柿の木の下を掃除し、枯れ枝や積んであった枝を燃やしてしまい、美しくなった屋敷を眺めてみると、母にこの様子を見てほしいとしみじみと思う。 この作業を始めた時に、既に母は外歩きもままならなくなっていたから、母は何も知らなかったことではあるが、もう見て貰えないし褒めても貰えないのだと思えば、いささか虚しくはなる。しかし、荒らしておけばもっと母にすまないと思うだろう。
散文的だが、何処からか見ていてくれたらなぁと思うのである。 母が生きていた時と同じように、いいえ、管理機やチェーンソー、動力鎌を使うのだから、もっと美しく整えていたいと思うのである。 母が淡々と務めていたことを、私も淡々と務め続けてゆきたいと願うのである。 屋敷や家のなかを美しく維持しておれば、母が今でも生きているように思える。 そう思いながら、畑仕事や家事を続けてゆくのが私のこれからの務めなのだと思う。
葉を落とした柿の木に百舌鳥がやってきた。眺めていると草むらの虫を探しているようだ。しばらくすると地面に舞い降りてなにやら啄んでいる。

以前からこのようだったのだろうが、去年までは気付かなかった我が家の秋景色である

イチョウの落葉は黄金色の絨毯を敷いたように見える。

今年も山茶花が咲き始めた。

生け垣を掃除していたら、この頃はあまり見掛けなくなったカラスウリを見つけた。

百舌鳥を見ていたら、「モズが枯れ木で」という唄を思い出した。
「みんな去年とおなじだよ、けれども足んねえものがある。」
※「モズが枯れ木で」 ボニージャックスの唄で。

※「モズが枯れ木で」 倍賞千恵子の唄で。

この歌は戦後のものと思いこんでいたら、サトーハチロー作詞、徳富繁作曲で昭和10年に世に出ている。こんな反戦歌が許された戦前もあったのだと、とても不思議に思える。

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