節分に松を切る

 昨年末から続いた寒波もとぎれた今日、三月を思わせる陽ざしに誘われて、庭の松の手入れを始めたのだが、手引き書の通りとはゆかないのである。 松の下にある山茶花や皐月には日陰となり、畑への通り道を塞いで邪魔にもなることから、思い切って切り倒してしまった。 またひとつ我が鄙里の景色が変わってしまったのを眺めながら、母が見たならなんと言うだろうかと考える。 「オゥー オー 切ってしまったのだね。」とでも言うのだろうか。
 切ったことに後悔はないし、広々とした景色となった庭は、それなりに好ましい様(さま)である。 母亡くなってまだ九ヶ月、父亡くなって六拾五日、それでも母屋も庭も畑も随分と様子が変わってしまった。
 月日のうつろいとともに、僅かながら一つひとつ変わってゆく鄙里ではあるが、変わりゆくのが当たり前のことと思いながらも、両親がまだ達者だった昨春を遠くに思い出せば、変わりゆく様(さま)に慣れることができない自分がそこにいる。 気付けば今日は節分、明日は立春なのである。

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