島早春賦Ⅲ

島では他にも幾つかのアート作品を見ることが出来るのだが、その紹介は公式サイトにまかせて、アートを引き立てる脇役、いいえアートが脇役で実は主役である島の風景を紹介する。 島のアートは、これから知る人ぞ知る存在になるであろう。東京をはじめ全国各地から、世界からも多くの人が訪れるものとなるだろう。
であればこそ、島の風景が大事なのであり、ただ単なる自然風景だけでなく、行き交う島人や、島人の住まいそのたたずまい、暮らしぶりなど、人や犬やネコを含めた島そのものがとても重要なものになるだろう。 島の生活の中に点在するアート、アート作品と島そのものが渾然一体として、島を訪れる人を迎えるのであろう。


島は離島である。 山陽新幹線岡山駅が最寄り基幹駅であるが、そこから島へ渡るには、ローカル線に乗り換え、宇野港から日に数便のフェリーを使うしかない。東京を朝一番の新幹線で旅発っても島の港へ着くのは昼である。 それでも強行日程を覚悟すれば、帰りは夕方発の高速艇で高松に渡り、高松-岡山間を瀬戸大橋経由で結ぶマリンライナーを使えば日帰りも可能である。
勿論のこと、4万円近い旅費を使って日帰り強行日程をするよりも、いま少し旅費を出して、岡山か高松で一泊すれば、もう少しゆっくりと島を楽しむことが出来ようし、これも当然のことながら近くの直島との連繋もあるだろう。いや、直島とのリンクが一番重要なのかもしれないが、離島なればこそ直島とは異なる顔も見せることが出来よう。
何よりも、離島であればこそそれほど多くの人が訪れるとは考えられない。だから、人混みを離れて島にどっぷりと浸かることが可能であり、それこそが売り物になるであろう。 島が多くのもっと多くの観光客をと望むよりも、百人の内十人、二十人の来島を期待するよりも、百人のうち一人の来島を待つというコンセプトを大事にしてほしいと思う。
ほどほどの来島者がゆっくりと静かに島を巡ることができるという環境を大切にし、美術館をコアにする「島全体がアート」という基本を大事にしてほしいと願うのである。グリーンツーリズム的な宿泊施設もほしいし、昼食がとれる施設もほしい。《食堂も幾つかあることにはあるが、島アートと呼べるほどのものにはまだ至っていない。》 シャトルバスに貸し電動自転車や軽自動車レンタカーはあるが、営業継続性が疑問視されているし、またトイレの不足は致命的であろう。トイレについては民家の屋外トイレを有料でよいから開放してみたらと思うのである。《トイレにこそ、行政の支援が待たれるのである。》
島への来島者を基礎にしての採算性を考えるよりも、有料アート施設はコア施設として、それらの「いわば門前町」をどのように作ってゆくかが課題であろうと考える。門前町を字句通りに飲食店や物販店と捉えるのでなく、もう少し広い意味での島起こしと考えてみたいのである。 島産物の宅配案内、島産物中心の食堂などを育ててほしいと考えるのである。 例えばiNetを使った、アート施設入場予約、食堂予約、電動自転車やレンタカー貸出予約なども考えられるだろう。 島の様々な施設を串刺しにする案内と予約ネットも考えられるだろうし、さらには滞在型旅客の誘致も考えられるだろう。
何よりも時間だけはたっぷりとある、島に居住する多くの高齢者が自由に気ままに参加意識を共有できるような施設、いや施設はすでにあるから、固い言葉で言えば自らの存在意義や社会参加意識を共有できるような仕掛け(事業というか催しというか日常的日々)が待たれるのである。
この道の先は、何処へ続くのだろうか? 島の未来に続く道であれと願う。

島の港は今日も波静か、いやはや通俗的マンネリ表現か。

島には随所にオリーブ農場が所在する。オリーブの景観も売りだ。

島の特産、苺です。1月から6月にかけての島では、B品であればイチゴが腹一杯食べれるなんて云う商品があっても佳かろう。 断っておきますが、これはAA品です。

西陽に輝く島の港は美しい。でも人影がないのが辛く寂しい。

島の港の夕陽である。夕陽はどこでも同じだが、沈む場所が夕陽を変える。ビルの谷間に沈む陽もあれば、山陰げに沈む陽も海上に沈む陽もある。

帰りきてみる鄙里から望む伊吹山は、今日もクリアである。

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