今年も、年々歳々花相似るごとく、鄙桜が咲きました。 鄙里に昨春、花を眺めた父母は此の春には亡く、陸奥三陸もまた「人不同」です。 東北人(みちのくびと)の悔悟もまじえるであろう喪失感を思えば、我がことなど日常茶飯事に過ぎないけれど、花を見上げれば彼の人々もさぞかしと思われます。 今朝も薄雲はあれども湿り気配無し、干天は続いています。
『代悲白頭翁』 劉廷芝(唐詩選)《茫猿超訳》
洛陽城東桃李花 都の東に 桃李の花ありて
飛来飛去落誰家 花は風に舞い どこぞの家に散るのやら
洛陽女児惜顔色 都の女(ひと)は 容色の衰えを惜しみ
行逢落花長嘆息 落花を見れば ため息ばかり
今年花落顔色改 この花が散れば また一つ老けてしまう
明年花開復誰在 老けたあたしの行く末は 誰が返り見ようか
巳見松柏摧為薪 松柏は枯れて 薪となり
更聞桑田変成海 蒼き桑畑は 変じて海となるという
古人無復洛城東 古人(いにしえびと)は 洛城の東にすでに無く
今人還対落花風 今は我のみ 花を散らす風を嘆く
年年歳歳花相似 年々歳々 花は同じく咲くのに
歳歳年年人不同 歳々年々 人はかわってゆく
寄言全盛紅顔子 青春のさなかにいる 少年が指して言う
應憐半死白頭翁 白髪頭の爺さんは 気の毒だと
此翁白頭真可憐 まったくだ 白髪の爺さんだって
伊昔紅顔美少年 昔は美少年だったのに おまえもいつかは皺だらけ
公子王孫芳樹下 世間知らずの若者たちは 芳しい樹の下(もと)で
清歌妙舞落花前 舞う花びらのなか 歌い踊る
光禄池台開錦繍 その屋敷は 錦繍のごとく美しい
将軍楼閣画神仙 その楼閣には 神仙が画(えが)かれているけれど
一朝臥病無相識 一朝(ひとたび)病に臥せば 見舞客も無し
三春行楽在誰辺 あの日の賑わいは 今いずこ
宛転蛾眉能幾時 花の命は短くて
須臾鶴髪乱如糸 昔日の面影 今や薄し
但看古来歌舞地 ただ 往事(むかし)の栄華の跡(あと)
惟有黄昏鳥雀悲 今は 雀がさえずるのみの 黄昏(たそがれ)だ
花が昨春と同じく美しいのも、またもの悲しいことである。
右:鄙桜 中央上:コブシ 中央下:大島桜 左:ソメイヨシノ&ハクモクレン
《2011.04.08 11:30 追記》
待ちに待った雨が やっと降ってきた
大地は 乳を飲む赤児のように 雨滴を吸い尽くしてゆく
薄茶色した地面に 黒い斑点ができたと見る間に
焦茶色に変わってゆく
雨に打たれながらの 鍬仕事も厭わしくない 春のお湿り
土埃が鎮まり 芽吹いた若葉が 輝きを増してゆく
いとおしい春の雨に ふと頭をよぎるのは
セシウム含有量のこと
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