詭弁すり替えの横行

 再生可能エネルギー転換、発送電分離政策、などに執念を燃やす菅総理の早期退陣を求める声の火元は何処にあるのか考え、菅総理退陣要求が激しさを増したのは、いつの時点からかと考えてみる。 菅総理の指導力に疑問有りとしても、具体的な失政は見えない。
 瓦礫処理の遅れも義援金配布の遅れも全てを菅総理のせいにするのは如何なものかと思うのである。確かにやたらと審議会などを作っているようだが、それにしても永田町や霞ヶ関の足の引っ張りあっこに見える。 ひょっとして、いいやどうやら敵は本能寺なのか! 津波災害と原発事故が争点を露わにしたことから、市民派に軸足を置く菅総理が邪魔になってきたと考えれば、幾つかのつじつまが合うのだ。


一,菅総理の浜岡原発停止要請(05/06)
 菅直人首相は6日夜、首相官邸で記者会見し、静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原子力発電所について、安全対策として中電が検討している新たな防波壁が完成するまで、定期検査中の3号機のほか、現在稼働中の4、5号機も含めてすべての原子炉の稼働停止を要請した、と表明した。
一,安部元総理のガセネタ・メルマガ事件(05/20) 

 福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。
複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。
12日19時04分に海水注入を開始。
同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。
官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。
実務者、識者の説得で20時20分注入再会。
 実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、 やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです。この事実を糊塗する為最初の注入を『試験注入』として、止めてしまった事をごまかし、そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。これが真実です。

《海水注入は現場の判断で継続していたと、後日判明する。》
一,イタリア国民投票結果(06/14)
 自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、イタリアの国民投票で原発反対派が多数だったことについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは、心情としては分かる」と語った。
 石原氏は「反原発と言うのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返ったとき、国民投票で9割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」とも述べた。
《自民党幹事長が、イタリア国民投票結果を集団ヒステリーとはねェー!》
一,またもや池田信夫氏の詭弁「脱原発は多くの生命を奪う
 原発事故の死者数と炭坑現場での死者数を比較する詭弁にもならないすり替え論議。
石炭採掘現場と比較するのであれば、ウラン採掘現場だろうが。
 このお方の詭弁には注意していても時々は惑わされる。 石炭火力と原発の根源的相違は回復不可能な事故蓋然性を内包しているか否かなのであり、確率論の問題ではないのだということに、いい加減に気付くべきである。
【06/17 03:03追記】
 震災復興の遅れも、原発事故終息が見えないのも、すべて菅総理が悪いのだという、理屈にもならないヒステリー現象が永田町とマスコミに溢れている。それを打破できない菅総理も情けないといえば情けないが、それでも今の状況は「驚異のシガミツキ」とでも云える状態だ。この粘り腰をもっと早く発揮していたらと思うが、それもこれも追い込まれたが故なのかもしれない。
 3.11震災にしろフクシマ原発にしろ未曾有のことである。《最近はようやくミゾウウと発音するアナウンサーや識者が減ってきた。ミゾウが正しい。》 平時の論理が通用するわけもない。平時の七面倒くさい手続きやら審査やらをこなしてゆける状況でもない。 いわば非常事態特別措置法が必要なのであるが、戒厳令の用意も非情事態法の用意もない日本である。 しかも霞ヶ関も永田町も大手町やお台場もマニュアル・マークシート世代ばかりが幅をきかしている。 だから三ヶ月を経過したというに、重箱の隅をつついてばかりなのである。
 そんななかで自衛隊、警察、消防はよくやっていると思われる。異常時に備えることが任務である組織としての役割を、よく務めていると思われる。 いちばん情けないのは永田町(国会)であるが、霞ヶ関(行政府)も非常事態に対処する姿が見えてこない。オピニオンリーダーとしてのマスコミの姿も霞や靄のなかにある。 この時期に被災市町村を責めるのは酷としても、岩手、宮城、福島の三県プラス仙台市が今必要とする立法措置要求とか、緊急避難的自治行為などというものが見えてこない。
 緊急避難的瓦礫処理、避難所だけでなく仮設住宅へも給食配布、暫定時限的失業者対策事業などなど、国が頼りにならないことを嘆く前に、現場が現場として独自解決を始めてもいいのではと思える。 それら突破力が見えないのは、それだけ異常時対処能力が失われているのだろうと思われる。 何も東北三県のことではない、日本全体にいえることなのである。

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