送り火

 我が鄙里には迎え火送り火の慣わしはない。盆が近づけば墓掃除を村中総出で行い、盆の十三日から十四日にかけて、それぞれの家毎に帰省客を伴って三々五々墓参りをする。墓前には花を供え、盆提灯を灯し蝋燭と線香を立てて弔う。それだけといえばそれだけの行事である。
 我が家には長い間、新仏が無かったから、墓参りは先祖供養以上の意味はなかった。三十年も前に娘の遺骨を埋葬してからは娘の墓参りという意味ができたものの、娘が墓にいるとはとても思えなかった。数年前に弟が急逝して、我が家の墓に遺骨を埋葬してからは、弟の冥福を祈るという意味が加わった。 今年は母の二回目の盆であり、父の新盆であるが、まだ納骨は済ませていないから、父母の弔いは家の座敷に安置する遺骨の前が心に馴染むのである。


 盆には宗教的にも習俗的にも様々な意味があるのであろうが、詳しくは知らない。せめて年に一度は、墓前に死者を弔い亡き人を偲ぶ、長年そんなふうに理解してきた。 我が祖父母や娘に弟を弔って、「今年もお盆をお迎えできました。有り難うございました。」と祈るのが、私の慣わしであった。
 死者は遺体から遺骨になれば、この世から消滅する。ただ消滅するのであろう。 死者の思い出がそれぞれの縁者の心の内に残るあいだ、死者は縁者の心のなかに生きるのであろう。その生きる模様も縁者それぞれの思いによって異なるものであろうから、死者の生きようも様々なのであろう。 私の心の内に残る父母への思いも、娘や弟への思いも、我が息子たちとは自ずと異なるものであろうし、弟の残した娘の思いとも他の親類縁者の思いともまた異なるものがあるのだろう。
 盆とは、墓前や仏前で、そんな自らの思いと自らが対話する、そんなひとときであろうと思うのである。 今年も例年どおりの、いや例年以上に静かな盆の送りを過ごしているのである。
 明日08/16は京都の五山大文字送り火である。 大文字の送り火では03/11に被災した陸前高田の松を護摩木にして焚くか否かで二転三転した挙げ句、焚かないことに決したという。 被災松の表皮が原発事故セシウムで僅かながら汚染されているかどうかで、焚くか焚かないかの右往左往である。 被災地の鎮魂を目的として焚くのであれば、表皮をはぎ取るなど方法はいくらでもあるだろうに、京都市長を始めとして腰の定まらないことおびただしい。
 風評に揺らげば揺らぐだけ風評を助長するだけのことと判らないのであろうか。 それとも判っていても、風評に揺らぐ葦のごとき主体性の無さを露わにしただけなのか。
 この事件の発端は他県の方からの提案を受けて、地元が鎮魂の意味を込めて焚こうとしたことから始まったことだが、セシウム汚染は大丈夫かとか、焼却後の灰が飛散すれば汚染が拡大するなどといった、科学的にはそれほど意味のない抗議に地元関係者が揺らいだ結果として招いたものであろう。 大文字で被災松を焚けば送り火の意味が深められ話題を呼ぶという気持ちも少なからずあっただろう。 挙げ句、風評被害を助長し、被災者の心を傷つけたとすれば、何とも罪深い話である。

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