天浜鉄道踏破-Ⅰ

いいいよ清水港を後にして、天浜線へ向かうのである。天浜線とは天竜浜名湖鉄道線のことで、天竜二俣を経由して浜名湖の北岸沿いに掛川と新所原を結ぶ旧JR二俣線である。 1987年にJRから分離して、第三セクター天竜浜名湖鉄道線として開業した。
2011.09.10 JR清水駅発11:10 掛川駅着12:08に乗車する。 ところが前夜のお酒、早朝起きが重なって眠ってしまった。 「キッカワ」というアナウンスを聞いて勘違いしてカケガワ着と思い飛び起きて下車したら、掛川駅の一駅手前、菊川駅だった。 乗り過ごしでもないし、車内に忘れ物もしなかったから、まあ良し々々と考える。 十分ほどのちの12:21菊川発に乗り、掛川駅に到着したのは12:27である。


掛川で昼飯とも考えたが、駅前にはめぼしい店も無いし、さほどに空いてもいないから、12:58掛川発、13:44天竜二俣駅着の列車に休憩無しに乗り継ぐこととする。 購入した一日乗車券は金千五百円なり。 写真の天浜線掛川駅はJR掛川駅に隣接している。

乗車前に記念写真を撮るグループ。 この一両編成の気動車に乗車する。

天竜川に近い、天竜二俣駅に到着する。駅舎もフォームもレトロ感たっぷりである。

天竜二俣駅前は閑散としているが、駅前には蒸気機関車公園もある。

天竜二俣駅はレトロな雰囲気が漂う。 画面左側は木造電話ボックス、円形ポスト、中央には旧型信号機、画面右側は木造のトイレなど。

天竜二俣駅前の道路で見掛けた、天竜の蓋である。

二俣駅構内のラーメン店で遅い昼食をいただき、さてどうするかと考えていたら、13:30頃から転車台ツアーを始めるという。 早速ツアー券金百円也を支払ってツアーに参加する。 ツアーは土日のみ一日2回開催と云うから、運良く遭遇したという感が深い。 転車台を正面から見る。転車台は電動でオペレーターが付いて運転する。

転車台の周りにいるのはミニツアー参加者で三十人ほどもいたろうか、老若問わず女性の数が以外に多い。鉄女たちである。 構えているカメラだって、一眼レフ有り、ミラーレス一眼有りと、結構高級なのである。

居合わせた車輌で、方向転換のデモを行ってくれた、転車台での方向転換の前にはポイント切り替えで線路の移り替えも見せてくれたし、ガイドが付いて、結構品揃えが豊富な鉄道歴史館見学も付いているから、ツアー代金百円はとてもお値打ちである。

転車台には付き物の扇形車庫である。今も現役で車庫として利用されているが、昭和15年建築の木造車庫であり老朽化は著しい。扉などは崩れてしまっている。どこまで保たせるかどうやって保たせるかが難題だと、係員が囁いてくれた。近々に予想される地震にはとても耐えられそうにない。 車庫のなかで車輌点検をしているが、命がけだよと冗談ぽく言っていた。 転車台、扇形車庫をはじめとして、二俣駅本屋、プラットフォームなど10件の建物や構築物のいずれもが昭和15年頃建築であり、国登録の有形文化財である。

ジオラマにも転車台を設けることは可能なのだが、転車台上のレールと周囲のレールを噛み合わせるのが難題なのである。 実物はどうなっているのかとみたら、レールつなぎ目に補助レールを設けてクサビを挟ませるようになっている。 Nゲージ模型ではここまでの作り込みはとてもできないことである。

旧二俣線機関区のランドマーク、蒸気機関車用の給水塔である。 現在も洗車用井戸水の給水塔として現役とのことであるが、地震の時に倒壊するのではと心配だと、休憩中の係員が囁いてくれた。 これも昭和15年頃建築の国登録有形文化財である。

天竜浜名湖線の旅はまだまだ終わらない。 次は天竜川を越えて新所原駅まで向かう、浜名湖沿いの旅である。 その件は次号記事に掲載する。

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々, 線路ハ何処迄モ, 茫猿の旅日記 タグ: パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください