止揚学園へお歳暮

 歳末は贈答の季節でもある。以前に比べれば格段に少なくはなったものの、鄙の侘び住まいにだって一つ二つは歳末の御挨拶が届けられてくる。 届いたら届いたで放ってはおけないから、礼状は書かねばならないし、返礼も考えなければならない。 でも、茫猿は義理欠き、見栄欠き、恥かきの三カキを旨とする生き方に、ぼちぼち徹しようと決めたから、礼状は書くものの返礼は義理欠きを決め込んでいる。
 世間からお歳暮が届けば、否応なく茫猿が届けなければならないお歳暮のことが、浮かんでくるのである。 何度も記事にしていることであるが、滋賀県能登川の止揚学園へ届けるクリスマスプレゼントのことである。 ふと思い立ったが吉日と、昨日お届けに伺った。


 いつものように岐阜市西野町の魚豊さんへ伺うと、折良く寒鰤があった。 氷見水揚げではなく佐渡水揚げではあるが、その分だけ値段も少しお安くて10kgブリとはいえ手頃である。 実は今週の金曜日からは年末年始相場に変わるから、今日はぎりぎりセーフです。明日からは倍近い相場になるから、ちょうど良い日に見えましたと魚豊の大将に教えられました。 例年のことだが、「そういう訳なら、私も協力します。儲けは要りません。」と、魚豊さんには今年もお世話になりました。
 早速買い求めて、止揚学園までお届けに伺ったのであるが、ぼちぼち顔を見せられる頃かと思っていましたと歓迎されました。いつに変わらず明るい元気な学園の皆様でした。写真のようにブリを丸ごとお届けするのは、学園では魚全部を使って頂けるし丸ごとの方が喜ばれるからです。頭の先から尻尾までアラも中落ちも全部いただきますと言われます。
 
 茫猿よりも一回り年配の福井達雨先生は、寄附などの礼状書きで忙しくてお疲れのご様子でしたが、今日はブリ刺し、明日はブリ大根やなと喜んで頂きました。少しでもお疲れ癒しになれば、お届けした甲斐もあろうというものです。
 ちょうど、おやつの時間に差し掛かり、一緒にお茶とお菓子をいただき、光子先生や面条先生やスタッフの皆さん、園生の皆さんと過ごす楽しい時間をいただきました。 園生のかつみさんなどは、私のことをしっかり憶えていてくれて、「このサカナはどこで釣ってきたの?」などと尋ねてもくれました。 お茶が終わると、間近にせまったクリスマス会の劇の稽古も見せてもらいました。 今年の演目は「笠地蔵」だそうです。
 
 鑑定協会関連の委員会日程が重なってクリスマス会には出席できませんが、一足早くクリスマスの雰囲気を味わうこともできて、楽しいお歳暮配達でした。
《先頃届いた、冊子止揚の巻頭言を引用転載します。》

『ためにではなく共に』(福井達雨)
 この頃、支援学校、支援学級という言葉をよく聞くようになった。障害をもった子どもたちの学校や学級のことである。
 この支援という言葉になんとなく違和感を持ってしまう。今、「支援」という言葉は、障害をもった子どもたちを支え、助けるという意味で使われているが、知能に重い障害をもった仲間たちと六十年を共に歩み、この仲間たちを支援するよりも、支援を受けた事の方が多かったことを思う。
 知能に重い障害をもった仲間たちと心を合わせ、共に歩む時、この仲間たちと私たちがどのように支え合い、助け合っていくかが大切なことである。その歩みを「ためにではなく、共に」と云うのである。
 この仲間たちのために支援をするのではなく、この仲間たちと助け、支え合い共に歩むことこそ、人間として皆が信頼を持ち、心を合わせられる重要な源なのである。
 支援より、もっと大切なのは共にである。

【茫猿の述懐】
 この手の話は秘やかにするものであり、これみよがしに披露するものではないというご批判があろうことは重々承知しています。 ですが、茫猿はこのように考えます。
 茫猿の学園への支援などはささやかなことです。仰々しく記事にすることではございません。 でも世間には多くの似たような施設が存在し、それらの幾つかは皆さんの訪問を心待ちにしています。 福井先生が言われる「支援より、もっと大切なのは共にである。」というのは、そういうことなのです。
 支援金を振り込んだり、支援物資を送ったりすることもとても大事ですが、ともすれば世間から隔離されがちな学園のような施設をお訪ねして、一緒にお茶をいただき遊戯ををして、少しでもお仲間づきあいをすることもとても大切なのです。
 園生の皆さんも喜んで歓迎してくれますが、何よりも訪れた側が明るい元気を頂けます。共に生きることを垣間知ることができて幸せになれます。 ですから茫猿はこの記事を読まれる方にとって、何かのきっかけになれば良いなと思っているのです。
 このことについては、福井先生がいつかの日に、このように言われたことを思い出します。

 「止揚学園も創立四十周年を迎えて、建物も在園生も歳を重ねました。そして十年、二十年と長く支援して頂いている幾つかのボランテイアグループの方々も高齢化しました。
 二十年余も学園を支援して頂いているある方が古稀(70歳)を迎えられました。
その方が私(福井先生)に言うのです。『私も歳をとりましたから、学園にお邪魔しても保母さん達のお手伝いが昔のようにできず、ご迷惑となるだけだから、もう訪問することを止めたいと思います』
 ボランテイアとは何かをしてあげる。資金援助をする。そういったことだけでは無いのです。 五十歳を越える在園生も少なくなく、両親は更に高齢化しお亡くなりになっている在園生も多くいます。帰る家は止揚学園しかない彼等にとっては、訪問者が多いことがとても助けになります。
来訪者とにぎやかに食事をし、ゲームをし歌を唄う、そんな明るい日々が重度の知能障害や身体機能の障害をもつ彼等にはとても大事なことなのです。 だから、顔なじみとなっている支援者が月に一度でも訪ねてきてくれることが、とても大事なのです。
 何もなさらなくてもよいのです。学園に来てニコニコと笑いかけながら座っていて下さるだけで、在園生は心和み穏やかに明るい毎日が送れます。 もう歳だからなどと言わないで、足元が不自由ならお迎えにゆきますから、いつまでも学園を訪ねて下さい。私(福井)は彼女にそうお願いしました。
 皆さんもボランテイアなのだから止揚学園に来て何かお手伝いをしなければとか、資金や品物を届けなければと考えなくていいのです。ただ来て下さるだけでよいのです。一緒にお茶を飲み歌を唄うだけでよいのです。それも、いいえそれこそが立派なボランテイアです。

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