鴨、青鷺、川鵜

先日はデジカメ、ズーム、手ぶれの野鳥撮影を記事にしましたが、今日はEOS-D30、300mm望遠、三脚付きで撮影してみました。 とても記事にできるような撮影結果ではありません、ピントがぶれ、切れ味も何も無い絵ですが、不動は得意だが動は不得手な茫猿の習作その1ということで掲載してみます。
それにしても、冬の野鳥撮影は一に我慢、二にも我慢と思い知りました。本格的に始めるならば三脚の立派なモノ、1000mm程度の望遠、それにレリーズ、ひたすら待つための暖房用テントなどが必需品なのだとも思いました。 でも、そこまでのめりこむつもりはありませんから、野鳥撮影はこれっきりかもしれません。


撮影場所はその昔、長良川洗堰から揖斐川へ増水を分流していた岐阜県安八郡:大榑川(オグレガワ)流域です。今日は鴛鴦は見かけませんでした。

こういう撮り方は好きなのです。

川のなかの杭に川鵜と青鷺が休んでいました。

青鷺が飛び立つ一瞬を捉え損なった絵です。手持ちで撮ってますからブレてます。

いずれにしても世間の(もと)同業者方は、何かと気を遣うことの多い地価公示の〆切が近くなって暮れも正月もない毎日なのだろうと思えば、ひとり寒空に野鳥を追いかけていられる我が身は幸せなのだろうか、それとも為すこともない不幸なのだろうかと独り言つのである。 正月近くなれば、母は帰ってくるかこないか判りもしない孫たちのために、いつもの正月支度を整えていたと思い出す。 父母なく彼等が帰り来るあても全く無くなった今や、何の支度も無用な茫猿の年越しなのである。
そんな今日この頃に気づいたことがある。 今年になってから以前は週に一二度は開いていた幾つかのサイトを開かなくなったことである。時事評論関連の幾つかのサイトをBook Marksに登録して開いていたのだが、BookMarksはそのままだが一向に開かなくなった。何故だろうかと考えてみた。
退隠して世間の様子に関心がなくなったせいか? どうもそうではない、新聞は読んでいるしTVニュースも見ている。 どうやら3.11震災と事故がもたらした結果のようだ。 未曾有かつ想像を超える出来事に出会ったせいのようだ。お為ごかしの評論が、底割れを見せたことに気づいたせいかもしれない。 3.11以前に、災害対策の有り様をどのように論じてきたのか、原発の利害得失をどう論じてきたのか、全てはそこから始まると考えているせいのようである。

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カテゴリー: 濃尾点描 タグ: パーマリンク

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