野暮な議論、粋な応酬

新スキーム問題は先号記事に案内のとおり、最終機関承認を残すとはいえ一応の決着はみました。
しかし、全面解決にはほど遠く、改善方針と次年度事業計画案がまとまっただけという評価もできます。 閲覧オンライン化の詳細、とりわけ閲覧料問題は「実費主義により適正化」と方向性を示すだけで、詳細は次年度以降の検討課題です。その意味からは峠はまだ越えていないという見方もできましょう。
この問題に関する一連の議論(別にこの問題だけに限りませんが)を、聞いていて感じることは《野暮な議論》が多すぎて、《粋な応酬》があまりにも乏しいということです。


《野暮な議論》
自らの立場や利害得失に固執し、相手方の立場や利害得失からものを考えてみようという思考視座が欠落する議論を、茫猿は《野暮な議論》と云います。
自らの主張は主張として、思考過程に寛容さや現実に配慮した妥協も必要なのに、自己の利害得失に固執してしまう井のなかの蛙的視座から抜け出せない議論を云うのです。
争点について詳細を知る機会や考える時間が十分あったのにも関わらず、自らの怠慢を棚に上げて「俺は聞いていない」と問題を蒸し返す発言が少なくありません。
一日も考えれば答えが出るのに一年間もの猶予期間を求める問題先送り議論、タメにする議論ばかりで全体を観ようとしない議論、些末に拘泥したり、マイナス点のみを論ったり(あげつらったり)施策の優先順位や具体策に言及しない議論、総論として賛成だが各論的に反対論を展開する議論、などなど 参加していてとても疲れる議論です。
《粋な応酬》
それは小異は残しても大同に就く議論であり、局所不適でも全体最適を目指す議論であり、自らの経験に固執する井蛙的愚者から脱却して歴史に学ぶ賢者でありたいとする議論であると考えます。
《局所不適、全体最適》
情報のデジタル化についてコンセンサスの形成、ICTの正しい理解の形成、鑑定報酬低廉化とか鑑定評価のコモデテイ化に正しく向き合う姿勢、などなどについての議論が深められぬままに些末論議に陥ってしまえば、土俵を違えた噛み合わない議論が延々と続くことになります。
新スキームに関わる議論について云えば、鑑定評価の存在意義、鑑定評価業界の特性、悉皆調査の意味するもの、デジタル情報化社会の行く末、などについてのコンセンサスなくして、局所の不適を乗り越えて全体最適に至ることは至難なのであろうと思うのです。
《閑話休題》
それにしても、飽きもせずにこのような言揚げを続けていること そのものが野暮なんだろうと思えてくる。 この世のなかは野暮にはたらけば角が立つ、粋に捌こうとすれば疎まれる。 野暮と粋は紙一重だが、一重の紙の厚さかな。

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