2011.3.11から一年

今日は穏やかな早春の陽がさしている。二万人近くの死者行方不明者を出し、三十万人余の被災者が今も仮設住宅などに避難を余儀なくさせられている大震災から一年が過ぎた。

茫猿はこの大震災に語る言葉を持たない。何かを語れば、語るはしから虚しくなっていくような気がする。「絆」という書き尽くされ語り尽くされた文字がある。言葉というモノは不思議なモノで、使われれば使われるほどに手垢にまみれ角がとれて、滑りやすくなってゆく。言葉は消耗品といわれもする所以である。TVの支援イベント番組で若いタレントや司会者が「絆」を口にすればするほどに、絆が遠のいてゆくような感覚にも陥るのである。

今朝は陽射しに誘われて、しばらくのあいだ庭の草取りをした。雨上がりで土が軟らかくなり草は根の先まで抜き易くなっている。 草取りは楽な仕事に見えて、さほど楽な仕事ではない。筋肉こそ使わないものの、前屈みになって小さく芽吹いている野草を一つ一つ丁寧に抜いてゆくだけの作業である。手の届く範囲の草を抜き終えたら、屈んだまま一歩前へ進み同じ作業を続けるのである。

草取りは単調な繰り返しであるが、一つ一つの草を丁寧に抜いてゆかないと根が残り、次の芽吹きの時には残った根が大きく強くなって頑固な草になってしまうのである。 だから草取りは単調な繰り返しながら丁寧さが求められる。そうであるだけに、何かを考えながらというよりも、ひたすら草取りに集中する方が効果は高いのである。 そんな意味で茫猿にとって草取りは只管打座でもある。

亡くなった母が、亡くなる一ヶ月も前に「こんなに手が美しいのは随分と久しぶりだ。」と言ったことがあった。草取りは手袋をしていては上手く抜けないから素手で行った方が効率的であるが、そのかわりに爪は汚れ草の灰汁が爪に染み付いてゆくし、指先は荒れるのである。母が時間があればしていたであろう草取り作業を、茫猿は被災地の死者達を思いながら引き継いでしている。二万人弱の死者達には一人ひとりの語り尽くせない物語があるだろう、それは二万という数字で一括りにはとうてい出来ない物語の数々であろう。二万という数字と一人ひとりの物語とのあいだには、とてつもない隔たりが横たわっている。

今月の末に気仙沼へ向かおうと考えている。 2008年10月に訪れてお世話になり楽しい時間を過ごした気仙沼大島のはま家さんのその後がずっと気懸かりだったのですが、最近になってサイトを検索していたら、はま家さん一家は無事であり気仙沼大島の別の場所でお店を再開されたと云う記事に出会いました。 茫猿如きがなんのお役にたつものでもないが、はま家さんを訪ねて無事とお店の再開をお祝いしたいと考えているのです。

 

 

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