恐山

「恐山」なのである。 多くの読者にとって訪ねたことはなくとも、何かの折りに耳にしたことはある名称だろうと思う。 青森県下北半島に位置する、日本三大霊場などと云われている霊場である。 茫猿はこの記事で、「パワースポット恐山」とか「スピリチュアル」などを語ろうというのではない。ましてや「イタコの口寄せ」などについて触れる気は更々ない。

ここで云う恐山とは、「恐山:南直哉(Minami Jikisai)著:新潮選書」について語ろうというのである。 南直哉師を知ったのは「《問い》の問答 南直哉・玄侑宗久対談:佼成出版社」なる本を読んだからである。 玄侑宗久師の著述を幾冊か読んでいくうちに南直哉師に出会ったというわけである。 南直哉師については師自身のなかなかに骨太なINDAI-Blog「恐山あれこれ日記」があります。 玄侑宗久師については師の公式サイトと不定期更新Blog「雪月花」があります。 福島県三春町に居住する宗久師のサイト「雪月花」を読むと、思わず知らず涙が滲んできます。

「《問い》の問答」を読んでと書きましたが、この書籍を購入してからもう一年余が過ぎたものの、未だ読了はしていません。 宗派を異にする二人の禅僧(玄侑宗久師:臨済宗、南直哉師:曹洞宗)が予定調和を意図しない対談ですから、とても面白いのですが、如何せん難解でもあります。 部分的には俗に面白くても、先へ進むには考え込んでしまうという頁に、何度も先を塞がれてしまい、ほぼ読み終わってはいるものの、もう一度通しで読まなければと思いつつ、読み込めていないというのが本当のところです。

この対談は南直哉師が院代(住職代理)を務める青森県下北半島の恐山菩提寺にて行われており、恐山の紹介や写真も掲載されています。 この時から恐山に興味を持っていましたけれど、まだ恐山には行っていません。 昨年春先に五能線を踏破した時にも、恐山へと少し考えましたが、雪深い僻地ですからまだ閉山中でした。 (開山していたとしても、足を延ばせなかったろうと思いますが。)

そうこうするうちに、南直哉師著の「恐山」が刊行されたと知り、買い求めて、新書版ですから一気に読み切ったというわけです。 寺院とは無縁であった直哉師が26歳で出家得度し、永平寺で二十年間修行した後に、縁あって恐山菩提寺山主の娘と結婚し、菩提寺の院代を務めているというが、師の辿った概略の経歴です。 「《問い》の問答」で知った直哉師が、どうして下北半島の恐山に居るのか、しかも院代として居る。 そういった、俗事的興味もありましたし、恐山という標題で何を語っているのかという興味があったのです。

宗久師は恐山のような異界と俗世の交差する場所や時間を「あわい(間)」と言われます。 茫猿流に読み解けば、「あわい」とは死と生の挟間であり生きる者と死せる者の交差する時間であり場所なのであろうと思われます。 霊場として信仰をあつめ、死せる者を訪ねて多くの人が集まる場所であり、硫黄泉がつくる荒涼とした賽の河原に、供えられた数多くの風車が回っている、そんな「あわい」の場所を直哉師はどのように語るのか、永平寺の過激派とも原理主義者とも呼ばわれた直哉師であればこそ、この「あわい」をどう語るのか興味深いところです。

直哉師は「死」について、こう述べています。
それは我々の日常生活において、全く役に立たない。 生きる元気は断ち切るし、癒すことを無意味にするし、運なんざ最初から無視してかかる。 それが死というものです。 しかしながら、その日常と世間においては全くもって意味がない。もっと言えばそれを破壊してしまうものだからこそ、死は、我々が存在するということにおいて決定的な意味をもつのです。 そこには生を圧倒するリアリティと強度がある。

また、別のページでは、こうも述べています。
死というものは何が何だかわからないものです。生きている限りわかるはずがありません。 もしかしたら死んでも、死というものがわからないかもしれない。 《中略》 死者の前に立つとき、自分の中の何かを死者に預けている、という感覚がある。 亡くなって時間が経てば経つほど、そのような感覚が強くなっていきます。 一体、私たちは死者に何を預けているのか----。 それは、欠落したものを埋める何かだと私は考えています。 

新書版200頁ほどの小冊子ですが、「1章・恐山夜話、2章・永平寺から恐山へ、3章・死者への想いを預かる場所、4章・弔いの意味、そして、無常を生きる人々 あとがきに代えて」が、口語体でやさしく述べられている本です。 さらっと読み飛ばせる本ではありますが、一言一言がとても重くも読めます。 「恐山」を「パワーレス・スポット」と喝破するところなど、さすが禅僧と云えましょう。

なお、南直哉師の「骨太なINDAI-Blog」は、迂闊に読まない方がよろしかろうと思います。 断片的に読めば誤解や曲解をする恐れがありましょう。 直哉師は宗教者の素質について、「宗教者の素質は教義を深く理解できる頭脳でも、縦横無尽に説教する弁舌でもなく、ましてや霊感でも超能力でもない。 そうではなくて、大事なのは、自分が生きていること、存在していることに対する抜きがたい不安、根源的な不安です。 この「不安のセンス」が、宗教家の資質として最も大切だ。」と言う。

こういった、断片的な引用は、南直哉師のいう「根源的な不安」を曲解増幅させてしまうのかもしれません。 そう思えばこそ、冒頭に挙げた二書を、もう両三度読み返してみようと思っています。

また、この八月には、北海道士協会と岐阜県士協会の姉妹士協会行事が札幌で行われますことから、帰途に足を延ばして、恐山に立ち寄り、でき得れば南直哉師の講話をお聞きしたいと考えているところでもあります。

何の脈絡もないのですが、初夏の陽射しが、水に浮かべた青い果実の陰影を写していました。

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください