疚しき沈黙

不動産価格指数と公的土地評価について、その先行きを考え始めたのが八月初め、以来ずっと頭を離れないことがある。
地価公示と日本再生戦略 (2012年8月9日)
それは、もう何を言っても何も変わらないだろうということ。
こんな囁き声が聞こえてくるのです。 幻聴ではなくリアルに聞こえてきます。

「何を言っても、何を聞いても無駄なこと、どうせ為るようにしかならない。」
「会長や副会長、常務理事さん達が何とかしてくれるだろう、それで駄目なら仕方ない。」

「今しばらく、公的土地評価に従事できればそれでよい。 それ以外の鑑定評価業務の受託など最近は滅多にないのだし。」
「もともと、公的土地評価などは引き受けたこともない。一般鑑定評価で生きてきたし、これからも一線を画した世界で生きてゆく、業界がどう変わろうと知ったことではない。」

多くの、多分大多数の鑑定士が、これらの内、どれかをお考えでしょう。 青臭い議論などは暑苦しいとお考えでしょう。 それとも鑑定評価業界の外で生きてゆくと、既に決めているのでしょうか。

筆者は、『鄙からの発信』サイト開設の当初から、
(1)コンピューターネットワークを基軸にした会員間の有機的ネットワークの構築
(2)土地センサス等、土地情報基盤の整備
(3)地図情報システムや数値比準表の基盤整備
の三項を提案し、機会ある毎にその採用を訴えてきましたし、多少は関わってもまいりました。
一石を投じることはできたか ( 1999年5月15日)

当時から較べれば、現在ではコンピュータ機能もiNet環境も地理空間情報活用推進基本法その他の環境も大きく変わっています。 しかしながら、『鄙からの発信』が提案した三項について、斯界自らによる推進は遅々として進まず、今に至っています。

鑑定士諸氏のご理解を得られなかったのは、茫猿の無力さによるものと考えるのは、不遜な考えだと思います。 茫猿の無力さなどではなく、不動産鑑定評価制度の創設以来、連綿として続いてきた「鑑定士の不幸」に帰因するのでしょう。 だからこそ、この度の事態に直面して、鑑定士ひとりひとりが考え行動してほしいと考えますし、それが専門職業家の果たすべき責務でもあろうと考えます。 不動産価格指数が地価公示やひいては鑑定評価にどのような波紋をもたらしても、それを連合会執行部や理事役員諸氏に責任を転嫁してはならないのです。 現執行部だけでなく、歴代執行部を選任し委任してきたのは、紛れもなく不動産鑑定士だからです。

所管庁に庇護されてきた故に、制度的に成功が約束されていた故の不幸というものが存在するのです。 それは自助努力を必要としなかった、というよりも下手な自助努力は地価政策や不動産政策目的の前には無用であり、時に邪魔となったということである。
だから鑑定業界はその目線を専ら霞ヶ関に向け、ときに永田町や虎ノ門界隈に目配りしておればよかったのであり、自らが市民と向かい合う姿勢や事業を考える必要の無かったという不幸を云うのである。
※「アピール(2000年2月25日 ) 」
※「国土交通省、鑑定協会、鑑定士(2002年6月 7日 ) 」

この不幸な生い立ちというのは、もちろん逆説的表現である。 世間の他の資格者から眺めれば世にもうらやむ、ねたましいほどの幸せであるが、それ故の不幸を背負っているというのである。 最も不幸なのは、鑑定士自身がそれに気づいていないか、気づいていても正しく対応しないと云うことにある。 これを”疚しき沈黙”と云えばいえようことなのである。

※ 疚しき沈黙:黙っていてはいけないと知りながら、出る杭は打たれ出過ぎた杭は切られると思い、雄弁は銀 寡黙は金なのだと世慣れ事勿れを思う、そんな沈黙を疚しき(やましき)沈黙と表する。 『鄙からの発信』の駄弁などは銅にも値しないのである。

茫猿は成り行きを楽観などしていない、いや悲観的である。 主に地方圏域に多い地価公示をはじめとする公的土地評価業務を主業務とする鑑定士群、かたや東京をはじめ都市圏域に多い公的土地評価に関与していない鑑定士群、この両者の意識落差は埋めようもないほどに大きく深くなっている。 端的に云えば、事例作成鑑定士群と専ら利用に専念する鑑定士群の落差である。 この差は鑑定評価の本来的位置を見失わせるほどに大きいのである。 いっそのこと、不動産鑑定士協会と公的土地評価士協会に分離した方がすっきりするのかもしれない。

鑑定業界一丸となって、不動産価格指数制度創設と、それに伴う公的土地評価並びに不動産鑑定評価への影響に対処しようと云う行動など望みうべくもないのである。 混迷をただただ深めてゆくだけであろう。 協会執行部は、幾ばくかの対症療法を施そうとするかもしれない。 しかし、戦略目標を欠いた対症療法の実施は、かえって混迷を深めるだけの可能性も高いのである。 将来を照らす灯明が望まれるが、微かな灯りさえも見あたらない闇の深さを感じるのである。

「公的土地評価だけに従事できれば、それで十分だ。」と言う公的土地評価鑑定士群、
「事例を手軽に利用できれば、それで十分だ。」と言う価格調査等鑑定士群。
この意識落差を埋める処方箋など、何処にも無いのだろう。

盛は既に過ぎたが、百日紅の名のごとく、まだまだ多くの花を楽しませてくれている。 数日続いた干天から、今日は雨が期待できそうな空模様である。 播種を終えた畑が、雨を待っている。

《追記:蛇足であろうが。》
前稿「不動産価格指数と公示価格推移指数」及び本稿は、多くの不動産鑑定士にとっては、想定外事項なのかもしれない。 しかし、「鑑定協会と情報管理(収集と分析)」に記述するとおり、幾つかの公表されている事象や「事業レビュー・地価公示Ⅲ」などを子細に検討してみれば、その総ては想定内事項なのであろう。 とは言え、『鄙からの発信』がイエローペーパーで、茫猿は老いたピエロであるとすれば、それはそれで好ましいこととも考えている。

 

 

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