公立学校と私学

この二週間ほどは、新スキーム改善の方向性について、原稿を書いては消し、書いては書き直している。数日中にはアッップしたいと考えてはいるが、まだ背景取材中でもある。 そこで埋め草記事は公立学校と私立学校の差異について、短い体験から書いてみる。 本当のところは、先日載せた写真に曼珠沙華咲き初めがあったが、今日は咲き揃っている写真を載せたいのである。

 公立学校と私学といっても、自身の遠い体験とこれも一昔前になった愚息達にまつわる経験に、少しばかりの身の回りの聞き及びなどの僅かな材料による愚考である。

いじめや自殺など、相も変わらず学校教育の現場がニュースになっている。 そんな報道に接する度毎に、公立学校と私立学校の現場の差異を考えさせられる。 此処に取り上げる差異以外にも多くの違いがあるのだろうが、私は教師の差異を一番に感じるのである。

例えば、公教育現場、教師は自都道府県内もしくは近隣都道府県に存在する教師養成学部出身者で大半が占められているであろう。 学校現場から教育長を含む教育委員会事務局に至るまで卒業年次や卒業成績?が、付いて廻ることであろう。 一部の例外を除けば、三十代四十代の中途採用もなければ、畑違いの学部出身者の採用も僅かであろう。 そこに生じる現象は単眼思考でありモノカルチャー現象であろうと容易に想像できる。 放課後の私塾通いが盛んになる所以である。  鑑定業界だって、ドロップアウト組みが消えて久しく、受験学校出身者がハバを効かせるようになって随分になる。

それに対して、私立学校や私塾の教師構成は多様性に富んでいる。 中途採用も多いようだし、逆に異なる世界へ転進してゆく教師も少なくないようである。 教師にしてからが担任する生徒の結果が一年後二年後に具体的に顕れ、それが評価に結びついてゆくのである。 何も上級校への進学結果だけでなく、体育系の結果や文化系活動の結果にも顕れるのである。
其処には、複眼思考や複線思考、ときに複々線思考が許容され、多様性が存在する。

ことは、それほどに単純ではないことは百も承知している。 でも、年代も経歴も実に様々であった昭和時代の鑑定士諸氏と、在学中から鑑定士を目指し受験校を経てはいるが実務経験と称する丁稚奉公を知らない、ましてやお礼奉公などは死語になっている平成時代の鑑定士諸君とは、随分と違っていると思わされること度々である。 ことにバブル時代に高額報酬が約束されているかのような受験校惹句に導かれた人たちの思考経路には異文化を感じる。

そういった意味では日本という国のありようそのものが、ユーラシア大陸の東はてに海を隔てて位置し、その東は太平洋という地理条件下にある。 西方の文化文明の吹きだまりだった時代もあったが、近世以降はモノカルチャーであり異文化への許容性が低い文化を形成してきたのであろうから 、学校教育の現場だけの現象ではないのであろう。 ドメステイック市場を相手とする企業文化も似たようなものがある。 不動産鑑定業界なんかは、極めつけのドメステイック市場を相手とする半世紀だったのだと思い知らされている。

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