晩秋真っ盛り

鄙里の陋宅は一年で一番良い季節を迎えている。 春は新緑、夏は緑の濃さ、冬は雪景色などと、四季を通じて楽しみは多いが、晩秋のこの季節は格別である。 空気は澄んでいるし空は色濃いし、夏のあいだは五月蠅い蚊もこの季節にはいない。
昨日も木洩れ日の下で菓子パン、珈琲、柿の昼食を摂った。 野良作業中は汗ばむので薄着をしているから、木洩れ陽があっても、食事を終える頃には少し肌寒い感じである。  食事を終えても動かずに黄紅葉を眺めていると、最初は樹上近くにいた野鳥が低く飛ぶようにもなる。

今日の雨でほとんどは散ってしまうだろうが、昨日のイチョウ。

イロハカエデだって紅葉真っ盛りである。

葉裏を透かして見るグラデュエーション。常緑樹が介在しているから楓の紅葉も一斉ではない。まだ赤くなり初めたばかりの楓と散りかけるカエデが並んでいる。

朝陽に映える鄙里。 もう葉を落としてしまった桜なども混じっている。

冬の花、山茶花が咲き始めた。上は八重の赤、下は一重の白。

昼間のことばかり並べたが、夜だって好ましい。気分をしゃきっとさせる冷気のなかで見上げれば、月が冴え冴えと輝いている。 月も冷え冷えと美しいこの季節でなのである。 さて、明日28日は、新スキーム改善委員会が開かれるので上京する。 執行部の意向は明日の委員会で第二次改善案を決定し、来月4日開催予定の臨時理事会で承認を得る予定なのであろう。 年度末迄に残された時間を考えれば、すでにぎりぎりのタイミングでもあろうと思われる。

それにしては、2013/01に試案提示、2013/03末までに決定するという日程を示していた閲覧料案を唐突に提示するという議案提出が理解できない。 不用意な閲覧料提案は紛糾を招くこと必至であろうに。 REA-NETの導入決定にしても、審議しなければならないことが多いと云うに。

 一気呵成にと、前のめりになる気持ちが判らないではないが、つんのめらなければよいがと案じている。 と云いながら、ツンノメリさせかねない質問書を提出している茫猿も、ひとが悪いと云えば悪いのだが。 そうは思うものの、2004年当時からの新スキームの経緯も、REA-NETの経緯も承知しているのは、改善委のメンバー中、今や私ひとりなのかもしれないと思えば、せめて言うだけは言っておこうと考えているのである。 《思い上がりなのであろうけど。》

《11.27 15:00追記》 昨日来の雨と風でイチョウの葉は多くが散ってしまったが、残った黄葉と楓の紅葉が雨に洗われて美しく輝いている。 前の林からは野鳥の鳴き声が、背後からは風に鳴る竹風鈴の乾いた音がカラカラと聞こえてくる。

なんとも長閑な昼下がりのひとときである。 朝早くに家を出て仕事に向かい、帰ってくるのは日が暮れてから時には深夜近いという日々を過ごしていた時には、知る術もなかった佇まいである。 こんな喩えようもない穏やかな時間に包まれていると、俗世の俗事などもうどうでもよい心もちになってくる。 馬齢を重ねただけの歳を嵩にして声高にものを申すことの愚かさというか、煩わしい猛々しさにも思えてくる。

 微苦笑を浮かべて穏やかに座っていることが、とても好ましく思えてくる。 会議さえ我慢してつきあっていれば、散会後には新橋や赤羽で心利いた人たちとの楽しい宴が待っているのだから。 我慢する必要すらないので、しばらく耳を閉じていればよいのだから。 さて、どうなることやら、結果は月内には記事にできることでしょう。

《追記 20:00》 今夜の月も美しい、すでに東の中空高くに雲影もなく輝いている。 月齢を調べたら13.2である。 明夜は満月である。 今の時期からの真冬にかけての月は冴えわたる感じがして、とても好ましいものである。 鄙の陋屋茅庭も月光を受けて屋根瓦は輝き、葉を落とした裸枝の影は地面にオブジェを映している。 月明かりは茅庭すらも好ましい佇まいに変じるのである。

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