朱色暮色

クリスマスは何ごともなく過ぎ、多い時には週に七日もあった忘年会の席は何処にも無く、今年も暮れてゆく。 残日録とはそういうものであろうし、気付けば2013年は残り六日である。 僅かに到来する暮れの届モノにしても、貰い放しは気が咎め、お返しに心悩ませるのである。 そんなひとときは庭を歩いて、枯れ葉のなかに暮れの朱色を探してみるのである。

縁起物・千両の赤い実《赤い実が上になる》131226senryoh

同じく縁起物、こちらは万両《赤い実が下になる》131226manryoh

これも縁起物・万年青《株元に大ぶりの赤い実がなる》131226omoto

赤い実ではないが、晩菊の赤131226bangiku

冬の到来を報せる伊吹の冠雪は白銀色暮色である。131226ibuki

クリスマスの前日、12月23日に印象に残るスピーチがあった。 平成25年天皇誕生日記者会見のなかでの一節が心に残るのである。 終戦の年は12歳だった天皇ではあるが、その後に天皇制存続の危機も感じられたであろう青春期を過ごし、昭和天皇の最も身近に位置し、平成期も25年を迎えたうえでの深い感慨なのであろうと思われる。

80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。 私が学齢に達したときには中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。
終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。
この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。 前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましいかぎりです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。 戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています

なにやら、日本人の良心を感じさせる陛下のお言葉である。
『大御心』などと声高に叫ぶ人々は、この陛下のことばを如何に聞くのであろうか。

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