花筏・花筵

鄙里陋屋の前を流れる小川に花筏が浮かんでいます。花筏は春風に押されて右へ左へと揺らいでいます。 陋屋の鄙桜は満開状態をまだ維持しおり、浮かんでいる花筏は上流の堤に植えられているソメイヨシノが散ったものでしょう。 鄙桜を居室の窓越しに眺めれば陽光に照らされてまばゆいほどです。 陋屋の庭にはツバキが花筵を敷いています。

あと一ヶ月もすれば母の日が巡ってきます。 四年前の五月、母の日を翌日に控えて母は逝きました。 生前には母の日といっても、母の為に何かをすることの無かった茫猿です。気づかなかった訳ではありませんが、何やら照れくさかったし、母もそんなに喜ぶだろうとは思えなかったし、息子達が祖母の為に多少は気遣っていてくれていたからなどと、みずからに言い訳をしながらいつも無為に過ぎていました。 母が亡くなった翌年の祥月命日&母の日には、霊前に薔薇の花束を供えましたが、供えながら何を今さらと思ったことです。

この数年、母を亡くし、父を亡くし、友を亡くし、叔父叔母を相次いで亡くし、そのたびに思わされることは「明日はない」ということです。 今日が暮れれば明日はやってきます。しかし、「明日あると思う仇心」とも言うように、明日は今日と同じではないといつも思い知らされます。 特に齢七十を越えれば、明日のことなど計り知れないと思います。 だから、会いたいと思うひとには会えるうちに会ってゆこうと思いますし、行きたい処、為したいことは、今日のうちに思い立ったが吉日と思い定めています。 家人は来月もある来年もあるなどと申して私を諫めますが、私には来月のことなど、ましてや来年のことなど、とてもとても覚束無く思えるのです。

昨日、今日と陋屋のまわりの春草を除いて整えました。母の日に母がやってきて「草まるけだがね」などと言われないように、「きれいにしているね」と褒めてもらえるように、爪を黒くして頑張っています。 生前に母が愛でていた鄙桜にも灯りを照らして、母や父や叔父に美しく見えるようにしています。 全ては私の心象風景に過ぎないことは重々承知していますが、我が心象風景に懐かしい人たちがあらわれてくれる、それだけで我が心はなごみます。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と申しますが、人同じからずはそのとおりですが、花とても相似ることはなく、去年の花と今年の花は似てはいますが違います。花木の成長もありますし、手入れや気候の影響もあります。 花もまた年々歳々不同なのです。生々流転は果てもなく、一瞬ごとに一つとして同じものはないと思います。 であればこそ、このひととき、この一瞬が大切なのであろうと思うのです。

桜の季節が過ぎてゆけば、季節は陽春、そして初夏の趣をみせます。 木々は若葉を茂らせ、様々な花木が花を咲かせます。 陋屋は浅緑と赤や黄色に彩られ、今年もまた母の日を迎えます。  母が孫(我が亡き長女)と、散り敷いた花びらで遊んでいる気がする庭先です。
《 あこ(吾娘)と母  座る影見る  花むしろ 》 (茫猿)

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会話の少なかった親子でしたが、それでも病床の母とは会話があり、遺言めいた頼み事も聞くことができました。 母亡きあと、つれ合いに先立たれた父が何を考えていたのか、何を思っていたのか、聞くことはまったくありませんでした。 「食事ですよ。 風呂が沸いてますよ。下着を替えて下さいよ。 食べにくいのですか? 加減が悪いのですか?」などと日常生活の決まりごと的な短い会話のみで、互いに尋ねることも話しかけることも無い日々でした。 そんな日々を半年過ごし、三日も病床につくことなく父は逝きました。 寡黙な父と無言の食事をともにするだけでなく、なにくれとなく話しかければ良かったのにと、今さらながら詮無き思いです。

カエデが芽吹き始めました。
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花カイドウが咲きました。140407hanakaido初めて作付けしたアスパラの初収穫もまじかです。140407aspala

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