夢千代日記

先々週からNHKで再放送が行われている「夢千代日記」。 吉永小百合さん主演で1981年に放送されたドラマである。 早坂暁原作脚本、個性派キャストによる深いドラマだった。 あれから三十三年、ということは当時の私は37歳だった。 当時は夢千代が抱いている陰影を巧みに描く吉永さんの演技に惹かれ、面白いなくらいの気持ちで見ていたドラマだけど、いま見直すと登場人物が抱えている様々な背景が織りなす人生模様が寄せては返す冬の日本海の波のように迫ってくる。

ドラマの冒頭では、餘部の鉄橋が登場する。 表日本のたぶん神戸の病院から山陰の湯村温泉に帰ってゆく夢千代が乗る列車は鉄橋を渡ってゆく。 このドラマだけではないけれど、このドラマ冒頭シーンも大きく影響しているのであろう。 餘部の鉄橋には三度行った。 最初は2009年10月のことである。老朽化した鉄橋が建て替えられると聞き、建て替えられるまでにと訪ねた。 次は同じ年の暮れ2009年12月浜坂からの帰り道、列車でわたった。 そして先月2014年3月建て替えも終わり、新しく空の駅が整備された餘部に行った。

日本海を見渡す谷あいに、海をみおろす高みに架かっていたトラス鉄橋は今やコンクリート橋に変わり、かつての鉄橋はモニュメントとしてその一部が残され「空の駅」という記念眺望施設となっている。

再放送で見る夢千代日記は35年前の作品である。 当然のことながら出演している俳優も35年前の姿である。 1981年といえば昭和50年代半ばの頃、高度成長まっさかり、後にバブルといわれた活況の入り口に差しかかっていた。 そんな時代に体内被曝の女性を主人公として、山陰の冬を背景に描かれた物語は、その後の35年を思えば時代の行く末を見通していて何やら暗示的である。 行きずりに出会った男女が引き起こす心中事件なども、当時は暗い話だとしか思えなかったが、刹那的に流されてゆく昨今を思えば、原爆投下から36年を経ていた当時に原発事故を起こす33年後の今を見通していたようにさえ思える。

生化学の常識を覆すとはやされた発見が、割烹着着用や理系女子などと上っ面な語り口であぶくの如く浮かびそして消えてゆく軽佻浮薄さを思うに付け、単なるゴーストライター事件がベートーベンの再来などともてはやされて消えていった事件の虚しさを思うに付け、立ち止まって自らの言葉で考えることの大切さを気づかされる。 事象の真偽を確かめることもなく、ましたや事実は真実と同じではないと考えることもなく、流され使い捨ててゆく今の風潮を怪しく思うのである。

2009年11月末撮影する、湯村温泉の夢千代像。 「新温泉町HPより夢千代日記091130yumetiyo

 

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