駆け足の斑鳩道

2019.09.18 前日、蕎麦《薬師寺から唐招提寺へ続く松並木道で見つけた蕎麦屋・よしむら》と葛きり《東大寺前の天極堂》と阿修羅像には堪能したものの、夕方の奈良町歩きに疲れた茫猿は早々と寝んだのです。 早寝のおかげで、常よりも早くまだ薄暗いうちに目覚めた茫猿は、独り平城宮跡を目指します。 JR奈良駅付近の宿から北西方へ向かって約4kmの道を、若草山に昇りくる朝陽を背にしてひたすら歩くのです。

国道369号線を辿りながら時々は脇道に入ったりして、ひたすら北西方向を目指しますとイトーヨーカ堂前で「長屋王邸宅跡」碑をみつけました。平城宮に隣接して約6haの広大な邸宅跡もいまはショッピングセンターの敷地である。長屋王の変は当時いくつかあった政争の一つに過ぎないけれど、長屋王が有名なのはこの邸宅跡から発掘された大量の木簡による。 木簡は奈良朝当時の生活や物産を示すものとしてとても貴重な資料なのである。

早朝に歩き着いた平城宮跡の門は閉ざされ、開門時間《午前九時開門》にはまだ三時間もの間があるから、朱雀門付近を巡ってから定期バスに乗り、朝食のために宿に戻ります。 写真は池越しに朝陽を浴びる朱雀門を撮りました。DSC08471

朝食を済ませた茫猿たちはJR奈良駅から関西本線で大阪方向へ二駅目《奈良駅、郡山駅》の法隆寺駅へ向かいます。写真はJR奈良駅コンコースの古都らしい雰囲気を醸している格天井です。DSC08484

法隆寺駅からは定期バスに乗車して法隆寺門前へ向かいます。古代の甍が建ち並ぶ広い境内を歩き、柿の代わりに茶粥を食しながら天平の鐘の音を聞き、百済観音にもお会いし、隣り合う中宮寺にて弥勒菩薩にお会いするのです。DSC08501DSC08492DSC08493

法隆寺にはさほどに多くはないけれど、それでも幾つかの修学旅行生やその他の団体客が群れていましたが、中宮寺は閑散としていました。おかげで古典的微笑(アルカイックスマイル)を讃えられている弥勒菩薩半跏思惟像とはゆっくりと心行くまで間近で対座できました。 弥勒菩薩に初めてお会いしたのは五十年も前のこと、再会したのは2006年の早春《嬉しい再会》、三度目は2009年初夏のこと《阿修羅》、以来四度目の納得ゆくまでの対座でした。 足弱な同行者との奈良・斑鳩の小さな旅はこれで終わりです。

駆け足の旅でしたが、興福寺阿修羅像と弥勒菩薩半跏思惟像にはゆっくりとお会いできましたし、危うく行き過ぎるところだった「吉野葛切り」を同行者に味わってもらうこともできましたから、残日録を綴る者としてはまあ佳しとすべき旅なのでしょう。 それからもう一つ、この旅で初めて体験したことに御朱印帳があります。

御朱印というものの存在は随分と以前から承知してはいましたが、特に興味は持っていませんでした。御朱印集めに淫することが嫌だと密かに思っていたのかもしれません。たぶんまだ若かったのでしょう。 寺社仏閣巡りが多くなった同行ふたり旅の、ささやかな記念に御朱印集めも悪くはなかろうと、薬師寺境内の売店で御朱印帳を見かけた時にふと思いついたのです。薬師寺で御朱印帳を買い求め、薬師寺、唐招提寺、興福寺、法隆寺、中宮寺と御朱印をいただいてきました。DSC08506

御朱印は寺の本尊にまつわる宝印《法印》であり、納経帳ともいわれるいわばお守りでもあるようです。それぞれに墨書手書きですから、いただくのに少々の時間もかかりますし、寺毎に記される言葉も違います。 薬師寺では薬師如来、唐招提寺では盧遮那仏、興福寺では東金堂、法隆寺では以和為貴、中宮寺は如意輪観音なのである。
これからどれだけの朱印をいただくことができるのか、皆目わかりませんが、残日録の旅を往く身としては、御朱印帳が古稀を過ぎてからのふさわしい旅日誌になろうかと考えています。

ところで、今回の奈良、斑鳩の旅日記を記すのに、小さな旅なのにずいぶんと時間がかかってしまった。記す気になるのに時間を要したし、その気になっても記す言葉がなかなか見つからなかった。記しながらも、記し終えたあとも散漫でつまらない文章だと読み返している。 先に挙げた2006年の記事《嬉しい再会》や、2009年の記事《阿修羅》と較べ読んでも、今回の記事は抑揚に乏しく平板である。 「鄙からの発信」が旬をとうの昔に過ぎてしまったせいなのか、それとも茫猿が残日録の日々を過ごしているせいなのか、まだ判らない。

関連の記事


カテゴリー: 茫猿の旅日記 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください