12.14の重要性

解散総選挙の重要性はいつも変わらない。いつも重要である。
しかし今回の解散総選挙の重要性は戦後最大であろう。

それは安倍総理が「戦後レジュームからの脱却」を謳っているからである。

アベノミクスの是非を問うことを大義名分とする解散は、めくらまし解散である。 意義が乏しいと取沙汰されることはすなわち、無関心者を増やし低投票率を招くものである。低投票率は後援会組織が充実し一票の価値が高い地方に基盤を置く自民党、及び組織力が高い公明党に有利であり、分散化している野党に不利である。同時に小選挙区では勝てないが比例区では支持票を有効に集積できる公明党、及びその小選挙区公明票を取り込んで基礎票とできる自民党に有利に働くのである。

右傾化の著しい自民党と宗教的一体感をもつ公明党との協力連携がもたらす危うさがここに存在するのである。 かつて公明党は下駄の雪と称されたことがある。踏まれても離れず踏まれれば踏まれるほど硬く下駄の歯に食い込んでゆくと揶揄されたのである。 今や公明党自身が下駄の鼻緒論を言うようになっている。下駄をリードする存在であり、切れば下駄《自民党》が転ぶ存在だと自負するようになっているのである。

下駄の雪であるか鼻緒であるかを論じるのは本稿の趣旨ではない。 右傾化が著しくファナティック性を増し多様性を失いつつある自民党と、宗教的基盤を持つが故にファナティック性から逃れ得ない公明党との連携が、今後の日本に何をもたらすかを危惧するのである。

安倍総理の戦後レジュームからの脱却の道筋は平和憲法改正を目指すものであるが、改正が容易でないと知るや解釈改憲という鬼道を選んだ。 お友達をNHKに送り込み、内閣法制局に送り込み、安保法制懇に送り込み、解釈改憲の道を進んでいる。解釈改憲の道は手間ひまのかかる民主主義国家から直裁的国家主義的国家へと目指すものであろう。

大政翼賛会政治への道を危惧する野中広務氏を挙げるまでもなく、歴史転換の萌芽は見逃されやすいものである。後世になって「あの時が転換点だった。」といわれるような選挙が今回の歳末目くらまし総選挙なのではなかろうか。ファナティック性の高い安倍内閣及び自民公明両党に今後四年間の国政舵取りを委ねきってしまうのか、それともバランス感覚ある日本政治に戻すかが問われている選挙であろう。

ワイマール憲法下でナチスを生み出したドイツの歴史、「石油の一滴は血の一滴」とおよそ質的に異なるものを同一視して太平洋戦争に踏み込んでいった日本の歴史に、学ぶことができるかできないかが問われている選挙であろうと考えるのである。

「石油の一滴は血の一滴」標語は、「ホルムズ海峡やシーレーンの安全は日本経済の死活問題」と形を変えて標榜されている。日本の死活問題はオイル輸送のシーレーン安全性のみに委ねられているという思考方法そのものが、一つの選択肢に限定してYES or NOを問うというファナティックな論建てなのであり、いわば ディベート的な誘導なのであるということに気づかなければならない。

安倍総理はディベート技術に優れた総理であると思う。だから、そのディベート的論建てを打ち破ることができない野党指導者、なかでも民主党海江田代表の拙さがとても残念である。劇場型ワンイシュー選挙に慣らされた無関心で無気力な国民を覚醒させる一撃が求められている。 独裁型政治に陥りやすい「決められる政治」よりも、「簡単には決めない。手間ひまのかかる民主政治」こそが望ましく好ましい政治なのだと気づかせねばならないのである。

明日は十二月八日、1941.12.08は太平洋戦争開戦の日である。あの日をはさむ十数年間の日本近代史から何を学ぶかが問われているのであり、戦後レジュームからの脱却などという意味不明なファナティック的論建てが問われているのである。 日だまりの水仙は寒波襲来にもめげずに花を開き始めている十二月七日なのである。IMG_0701

 

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください