冊子・止揚の終刊

暮れも押し詰まった12月30日に、思いがけない報せが届きました。 滋賀県の社会福祉施設[止揚学園]が長らく発行されている冊子・止揚が終刊されるというのです。1972年以来42年間、年3回の刊行を重ねて122号を数えた冊子が終わるのです。ものごとに始めがあれば終わりもあることは世のならいとはいえ寂しいことです。 福井先生が申されていることですが、「止揚」は止揚学園の広報誌として生まれたものではなく、止揚学園が理想とする「総 ての人たちの尊厳が守られる社会を、地球を 創り、育てよう」という思想を、社会に発信する冊子でした。 構想を新たにして再刊されることを祈念するものです。

冊子・止揚に長らく連載されてきた「負けいくさにかける」(福井達雨)、その《完》を学園のお許しを得て転載致します。
《冊子・止揚創刊号》         《冊子・止揚終刊号》
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負けいくさにかける(完)
重い知能障がいをもつ 人たちの中でー  (福井達雨)

《老人になる喜び》

前号は私たちのオノロケを書かせていただ きました。読者のいろいろな人たちから「楽 しく読ませていただきました」「福井さんに もそんなロマンチックな若い時があったので すね」と励ましのお手紙や御言葉をいただい て、私は深い感謝と共に心を熱くしました。

さて、この号は八十二歳になった私の今の 思いを書かせていただきます。  今年の敬老の日の週間を利用して、連れ合 いの光子さんと二人で佐渡(新潟県)に三泊 四日の旅をしました。  私は今まで何度か講演に招かれて、佐渡に は行っているのですが、その集会が終わると すぐに帰っていたので、今回、初めて観光の 旅をしました。率直に云うと今までは、相手 が費用を出してくれていたのですが、自費の 旅はこれが初めてで、自由にノビノビとさせ ていただきました。

レンタカーを借りたのですが、佐渡の道は 急坂とカーブが多く、緊張の連続でした。光 子さんから、「そんなに速く走ったら、事故 をおこします。危ないです」と何度も叱られ ながら、四日間、五百キロばかりを無事に運 転しホッとしました。そして、(僕の運転は まだまだ大丈夫や。これやったら百歳になっ ても、自動車を走らせられるなあ)と心の中 では自慢をしていました。でも、それを口に すると「自分の歳を少しも考えないで、老人 の強がりばかり云って」と云われそうで、黙 っていました。

佐渡は東京二十三区の一・五倍ほどの広さ があって、人口が約六万人なので、多くの所 は人影がまばらでした。そして、老人があち らこちらで目につき、道路の片側に「老人が 歩いていますから気をつけてください」とい う標識が沢山立っていました。(佐渡は若者 が島を去り、過疎化が急激に進んでいるんやなあ)と強く感じました。  自動車で走っていると老人たちがノロノロ と運転しているのに何度も出会い、その後ろにつきながら(このおじいさんは運転しない 方が良いのに。危ないなあ)と思っていまし た。しかし、その度に(僕も八十二歳の老人 やなあ。きっと、このおじいさんの方が年下と違うのかなあ)と苦笑していました。

この頃、(老人として活き活きと歩むため には、歳をとった自分をどのように認め、大 切にするかが必要なことや)とよく思うので すが、(自分は八十二歳の年寄りや)と自覚 できない私なのです。自分の愚かさに、いつ も深い自省をしています。  総務省の発表による人口推計では、今年、 総人口の四人に一人が六十五歳以上だという ことです。そして、七十五歳以上は八人に一 人の割合になり、私はこの群れに属している のです。 こうして老人が増加していくと、二十年後 は六十五歳以上は三人に一人、七十五歳以上 は五人に一人になります。日本はこれから、 高齢者社会がますます進んでいきます。

さて、私は今、孫が七人いて、そして、職 員の子どもたちが二十人以上います。その子 どもたちから一度も、「おじいちゃん」と言 われたことがありません。皆は「福井先生」 と私のことを呼んでいます。  孫たちは幼い時、私を(自分のおじいちゃ んや)と誰も分かっていなかったようです。

めばえちゃんという職員の子どもで女の子 がいて、保育園に通っています。私が暇な時 は、迎えに行くのですが、その度に、 「なんや、福井先生か。お母さんの方が良 かったのに」と言われています。若い時なら(せっかく 迎えにきてやったのに)とムッとしたと思うのですが、今はその言葉も天真欄漫に聞こえて、(さすがにめばえちゃんも三歳になり、 成長しょったなあ。憎まれ口をききよる。そやけど、やっぱし可愛いなあ)とニコニコし てしまうのです。そして、(やっぱし僕も歳 をとったんや。めばえちゃんが何を云いよっ ても許せて、明るい気持ちで聞けるようにな ったなあ)と喜びを感じるのです。

めばえちゃんの通っている保育園の保母さんたちは、初めの間、私を(めばえちゃんの おじいさん)と思っていたようです。そのために、めばえちゃんが「福井先生」と呼ぶの が不思議で、その上、私は老人が着ないよう なカラフルな服を何時も着ていて、「変なお じいさん」と噂をしていたことを後で知りま した。

この様に、「八十二歳には見えませんね。 顔もピカピカして艶もよく、元気そうで」と 「若い、若い」の声を聞く度に、私は有頂天 になってしまい、大喜びをしてしまいます。  その様な軽い自分に対して、フト(こんな 気持ちでよいのかなあ。もっと深みを持った 老人としての歩みをせんとあかんのやないのかなあ)と思う今日この頃です。

《齢をとる寂しさ》

さて、この頃、(齢をとると、なんとなく 寂しさが身にしみてくるなあ)と感じること が増えてきました。  「なにがそんなに寂しいのですか」と尋ねられても、はっきりしません。  「なにがと聞かれても分からへん。とにか く寂しくて仕方ないのや」と訳の分からない答えをして、皆を煙にま いています。  そこで (なにが寂しいのやろうか)と考え てみると、(死が近づいているからかなあ) とフト思います。しかし、老人になってきて 死を実感した時、その死から迫ってくるものが自分をしっかりと見詰められる力になり、 人生に深みを育ててくれます。そう考えると 死が寂しさを創っているとは思えません。

次に考えることは、この頃、未来を考えた り、語ることよりも、過去の想い出が心に浮 かぶことが多くなってきました。私たちは未来を見つめると、新しい希望が広がり、心が 明るくなって活き活きと躍動します。過去を思う時は懐かしさに溢れて、心が慰められ、 安まります。しかし、それが前に進んでいく 力には結ばれにくいものです。  聖書にも「若者たちは幻を見、老人たちは 夢を見るであろう」と記されています。幻は 未来に光を輝かせる前向きの姿があります。 しかし、夢は見て覚めることが多く、行動を生み出しにくく、後ろ向きの姿を感じてしま います。この様に齢をとると、未来志向が弱 まっていくことに寂しさを感じているのかも わかりません。しかし、(これが寂しさの決 定的な原因かなあ)と考えると、(そうや) と言いにくいところもあります。

又、若者たちから、 「これからは私たちに総てを任せて、ゆっ くり生活してください。デンとしてそこにい てくれるだけで私たちは嬉しく、力になって います」 と言われると、心が暗くなっている時は(な にを言っているんや、邪魔者にして)と抵抗 を感じてしまいます。この様な時、「老人特 有のひねくれだ」と云われると(そうやない のに)と寂しさを感じる時もあります。

人間はそこに「存在」するだけで、皆の中 に入れられて生きていく「所属」がないと、 孤独を強く感じてしまいます。「存在」と共 に「所属」が相まって人間として認められ、 生きる「実存」があるのです。人間としての「実 存」が奪われることは、自分が失くなって寂 しいことです。

しかし、この一つの条件だけで寂しさを感 じているのかと心に問うてみると、「否」な のです。老人になり持つ寂しさとは、いろい ろな心の動きが集まり一つになって生じてい るものではないのでしょうか。だから、見え るものだけで答えを出そうとしても、出てこ ないのです。  人間は誰でも(自分は一人ぼっちやないの かなあ)という孤独感を持っています。しか し、若い時は、「若さ」というエネルギーで その心を包むことができます。齢をとってく ると包むものが弱くなってきて、その包みを 破って心の奥深くに存在していた寂しさが一 気に吹き出してくるのだと思います。

寂しさは、喜びや楽しさ、悲しみや苦しみ よりも、もっと深淵な心の動き、心の本質な のです。だから、老人になって出てくる寂しさは真の寂しさと言えます。そして、その深 いものが、老人になり弱さを持つ真の意味を 教えてくれる力になります。その寂しさや弱さは闇を与えるものでなく、若い時には持て ない新しい人生を目の前に出現させ、齢をと つて持つ不安や悲しみを解き放って生き甲斐 を持たせてくれるものなのです。

さて、老人になり、この様な思いの中で寂 しさを静め、前向きになれるのは人間の知恵 や力では無理だと思います。この頃、(希望 を捨てず、一歩一歩と前に進む勇気を創り出 してくれるものは信仰以外にはあらへん。僕 はイエスさまに信仰を与えられて、ほんまに 良かったなあ)と思い、感謝することが多く なってきました。この心は若い、強い時は余 り持てなかったものです。

八十二歳になり、いろいろな弱さを感じた り、寂しさに心を揺さぶられるようになり、 信仰が生き返ってきました。そして、(弱さや寂しさはイエスさまが与えて下さっている んやなあ。それがイエスさまの愛なんや)と 気付かされて、老人として生きていく喜びを 持たされるようになりました。  老人になり、総てが終わり、何も出来なく なるのではなく、イエスさまが与えてくださ つた寂しさが、これからの未来の輝く光とな つていく、(真の寂しさは、ほんまに素敵な ものやなあ)とシミジミと実感し、未来に心 を躍らせている私です。

《弱さを持つ喜び》

老人になり、弱さを持つ喜びを、一人のお 医者さんから教えられたことがあります。  その日、私は近くの医院にインフルエンザ の予防注射を受けに行きました。待ち合い室 で坐っていると、診察室から 「齢をとるっていやなことですなあ」とおばあさんの声が聞こえてきました。  「なんでや、よいことやと思うけどなあ」とお医者さんの声、  「そんなことあらへん。気力や体力は弱く なるし、なんでもすぐ忘れるし、子どもたち もあまり見てくれへんので一人ぼっちやし」とおばあさんの愚痴が続きます。

このお医者さんは、私のホームドクター(か かりつけの医者)的な存在で、老人のクドクドとした話でも、ゆっくりと聞かれる優しい 先生です。  「そやなあ、いろいろ大変やけど辛抱しい なあ。そやけど、齢をとって弱くなったり、 寂しくなることはよいことなんやで」、「先生、変なこと言わはるけど、なんで弱 くなることがよいことなんやろう」おばあさんが聞き返しました。  このような遣り取りが続きました。それか らのお医者さんの話を要約してみます。

「人間の多くは長生きすることを求めるけ れども、二百歳も、三百歳も生きられない。 もしも、生きられても、とてもしんどいこと だと思う。しんどうなったら大変や。それを 救うために死がある。人間は誰も死から逃れ ることはできない。そして、死がやってくる ことは幸福なことだ。死を迎えるためには、 弱くなっていくことが大切なことだ。いつま でも強いままであったら死を迎えられないと 思う。齢をとって弱くなり、いろいろな事が 出来なくなるということは死を迎えられると いうことだ。だから、老人になって弱くなっ ていくことは、とても良いことで、死を迎え て彿様の所にいけるということだ。(齢をと ったら何もできなくなるから駄目なんだ)とは考えないで、(彿様が、迎えてくれてはる んやなあ。良かったなあ。弱くなったら寂し いけど、それが彿様の慈悲や)と明るく考え た方が良いよ」とこのようなことをコンコン とおばあさんに諭されていました。

私は診察室からもれてくる二人の会話を聞 きながら、(老化について、お医者さんのよ うな考え方を持てたら”ク弱くなることも、寂 しさを感じることも、ほんまは素晴らしいこ となんや”と思えるなあ。そうならんとあか んなあ)と元気を与えられていました。  聖書に「わたしの父の家には住む所がたく さんある。行ってあなたがたのために場所を 用意したら、戻って来て、あなたがたをわた しのもとに迎える。こうして、わたしのいる 所に、あなたがたもいることになる」と記さ れています。イエスさまが私たちを迎えるた めにいろいろな準備をしてくださり、寂しさと弱さ、老化もその準備の一つなのです。準 備が終わって完成をした時に、私たちはイエ スさまの側にいけるのです。この御言(みことば)を読む 度に、私たちが嘆いている事柄は聖書を通して見ると、明るい事柄に変わり、感謝に満ちるのです。聖書はどんな時でも、私たちに失 望を与えることがありません。

見えないものを視る、聞こえないものを聴 く、素直な、優しい信仰と心を持たされた時 に、人間的な苦しみや悲しみが昇華され、闇 が光に変わっていくことを聖書は示してくれ 負けいくさにかける ているのです。  いつも思うのですが、私たちが知恵を働か せて考え、答えを出すのと、聖書が伝えてい ることは、反対の事が多いものです。  私はよく、「反対こそ真理なんや」と仲間 たちに語るのですが、その度に、「私たちの言うことに何でも反対をして困 った人だ。ひねくれたことを言って、私たち を困らせないでください」  とひんしゅくを買うことが多いです。

それ でも私は、(反対こそ真理や)という気持ち を強く持ち続けています。この頑固さが私の 特性とも言えます。頑固は悪い意味で考える 人が多いですが、私は(頑固は見えないもの を求める心の継続や)と捉えています。  私は六十三年間、「知能に重い障がいをも った仲間たちと私たちが心を合わせ、共に歩 める社会を創ろう」と多くの人たちに支えら れ行動してきました。四十年前の「止揚」を 読むと、今、書いている文章と書くことは違 っていても、内容は少しも変わりません。我 ながら(僕は少しも進歩せえへん人間やなあ) と思うのですが、この四十年の間、同じこと を書き続け、(これからも、この頑固さを失 くさんと、一歩一歩と前に歩んでいこう)と 心に語っています。私は「もの分かりのよい 達ちゃん」よりも、「頑固な達ちゃん」であ りたいのです。

《さようなら、ゴメンナサイ》

一人の知能に重い障がいのある女性の死に 出会い、(彼女たちが受けている差別をなく してやりたかった)と思うだけでなく、(そ れをなくし、彼女たちが胸を張って歩ける社 会を創ろう)とその行動を具体化するために、 一九七二年八月一日、「止揚」という雑誌が 創刊されました。そして、四十二年間、年に 三回発行され、百二十一号になりました。

十五号までは「小羊の歩み」という題で、 私の思いを綴っています。十六号は四人の仲 間が私の事を書いてくれ、十七号から「負け いくさにかける」が始まりました。  「止揚」は小さな雑誌でしたが、四十二年 の長い間、知能に重い障がいのある仲間たち と私たちが一つになって、イエスさまに与え られた生命や見えないものの大切さを、忍耐 強く叫び続けた頑固な雑誌でした。

合理的で速度の速い社会で、非合理に、不器 用に、ありのままの姿を通し続け、「ゆっくり歩 こうなあ」と訴えてきた雑誌でした。社会的に 大きな役割を果たしてきた、小さな雑誌でした。  さて、時代は変化していきます。現代は市 場主義の全盛時代です。知恵とお金を持つ強 い人間が優先されます。私たちの場もお金を 得て、利潤を求める福祉企業が巨大化し、心 を捧げる福祉は消え始めています。

私はこの場に身を置きながら、二年ばかり (見えないものや生命を軽視しがちな社会や 人たちにその大切さを伝えるには、今までの 「止揚」の内容で良いのかなあ。「止揚」の本 来の役目は終わり、新しいものを生み出す時 が来たのかなあ)と思ったり、(否、見える ものは滅びても、見えないものは永遠に続き、 変わらへんのや。そやから、それを大切にし てきた「止揚」こそ、今の時代は続けんとあ かんのや)とも思い、この二つの心が行った り来たりしてきました。

それと共に、二年位前から、私の書くもの が、未来の希望が書けず、筆が過去に向いて しまい、(「止揚」は過去よりも、未来のこと を読者の皆様と考え、どうしていくべきかを 見つめてきた雑誌や。未来への予言の雑誌な んや。このままではあかんなあ)と考えることが増えてきました。  いろいろな思いが心の中を走り回ります。

(「止揚」を続けるべきか、終わるべきか)迷 いで満ちている私です。  イエスさまに(どうしたらよいですか)と 祈り、聖書を読み、尋ねても応答はありませ ん。イエスさまの御言は聴こえません。イエ スさまに与えられた信仰を、自分本位に使っ ているからでしょうか。

「止揚」が長く続いたのは、優しく支え、 励ましてくださった読者の皆さまのお祈りが あったからです。それを思うと心が乱れます。  「止揚学園の動きを皆に知ってもらうために 『止揚』は継続するべきだ」との意見もありま す。しかし、「止揚」は止揚学園の広報誌、宣伝誌として生まれたのではありません。もっと 広い、外に開かれた雑誌でした。読者の皆様 と知能に重い障がいのある人たち、私たちが(総 ての人たちの尊厳が守られる社会を、地球を 創り、育てましょう)と、その理想を信仰を 通して文章にしたのです。そして、その文章 を行動に結びつける祈りを持った雑誌でした。

小さな、小さな雑誌でしたが、大きな、大 きな幻を持ち、激しく、激しく、心を燃やし 続けてきた、見えるものだけを求めるのでは なく、見えない優しい、やさしい心を、温か い、温かい、あたたかいヌクモリを持って歩 んできた雑誌でした。  この様ないろいろな心の動きの中で、今ま で歩き続けてきた「止揚」ですが、(これか らどうあるべきか)を祈り、考える時が来た ように思えてなりません。  「止揚」はこの号で終わりにします。我僅 かもわかりません。私の我儘を許してくださ い。ゴメンナサイ。

「止揚」の編集には多くの人たちが携わっ てくれました。その中で一番長く関わつてく れたのは渋谷伸江さんです。彼女は私の教え 子で、私の決断に深い寂しさと悲しさをもっ ていると思います。彼女の祈りが溢れた「止 揚」です。渋谷さんに対する私の心は筆舌に は表わせないものがあり、彼女に言葉をかけ られない今です。私です。

太陽は西に沈み、東から昇ってきます。終 わることは始まることです。  「止揚」が四十二年間訴え、行動してきたもの (見えないもの、神さまが与えて下さっ た生命、それを持つ総てのものへの畏敬を持 ち歩み続ける)この真理を読者の皆様が心に 深く持って、これからも行動していただけれ ば、「止揚」は再び、新たに生きることにな ります。そのことを祈る私です。  長い間、ありがとうございました。
感謝に 満ちつつ、終わりの文にさせていただきます。《転載終わり》

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冊子・止揚の終刊 への1件のフィードバック

  1. 渋谷伸江(止揚学園) のコメント:

    森島様、このたびは〝止揚″のことでは色々とありがとうございました。先日のお葉書も重ねてお礼申し上げます。お正月には御千代保さんでもありがとうございました。また、お出会い出来る日を楽しみにしています。ホームページを拝見させて頂きましたので、お礼をこめてあしからず。

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