残日録−成長至上主義と訣別

年始に配達された三冊のうち、「資本主義の終焉と歴史の危機 水野和夫著・新書版218頁」、「日本人のためのピケティ入門 池田信夫著・77頁」だけは、斜めに読み終えた。おかげで目が少し痛い。《茫猿は右目に網膜剥離の後遺症を抱えている。》
二つの書を読んでの感想といえば、成長至上主義からの訣別が不可避であろうということである。

資本主義の終焉と歴史の危機
共感するところがとても多い本である。この本と「21世紀の資本 ピケッテイ著」とは直接に相関関係はないと考えられる。論旨建ても異なっている。「資本主義の終焉と歴史の危機」の第一刷発行が2014.03.19であり、ピケテイの「21世紀の資本」がフランス語で公刊されたのは2013年であり、英語訳版が発売されたのは2014.04である。しかし、その説いている内容は「グローバル資本主義即ち成長至上主義がもたらす格差の拡大」についてであり、その結論において類似性は高いと考える。

「21世紀の資本」が説くところは、「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出す」ということである。この書はまだ読んでいないし、大部であるから読み終えるに時間もかかるであろうと思われる。 そこで「日本人のためのピケティ入門」であるが、よく判らないところがある。池田氏が評者であるが故であろうか、彼の拠って立つ位置がややぼやけている感が拭えない。要約すれば次のようであろうか。

池田氏はこのようにも述べるのである。 ピケテイが歴史データから分析する結論は「資本主義には不平等化の傾向があるという。 しかし、歴史データの分析は容易ではなく、統計データは不備であり各国の事情差異も大きいから、基礎データの信頼性が薄い。

ピケテイの「21世紀の資本」については、もう少し読み込んでから考えてみたい。トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房) を読む!

今は水野和夫氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」について述べることとする。以下は、茫猿の読後感である。《必ずしも水野氏の著書の要約ではない。》

水野氏は、資本主義の勃興期における東インド会社の成立や産業革命当時から説き起こし、21世紀になって成長するグローバル資本主義に至る経過を述べている。そして、グローバル資本主義が席巻することとは「国家と資本の利害関係が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義へと変貌している。」のだと云う。

かつての資本主義は《20世紀までの資本主義は》、国内と海外《フロンテイア:辺境》との格差を前提条件として成り立っていた。 北側の先進諸国《欧米と日本》は、南側を辺境とし、その地下資源《石油と鉱産物》、農業生産物、安い労働力資源を利用《蒐集、収奪》することにより、自国の中産階級を維持し拡大してきた。 そこには冷戦下における東西対立の結果として、自国内の格差拡大を回避し中産階級を拡大充実しようとする国家意思も働いていた。

しかし、南の辺境とされてきた低開発国が新興開発国に移行し、近代産業化が進んでゆくとともに、これらの南の辺境を無くしてきた。BRICSの勃興がそれであり、韓国、台湾、タイ、ヴェトナム、ガーナ、ナイジェリアなどが、それに続いている。

資源価格や農産物価格が上昇し、それら辺境が無くなってゆくことは、資本収益率の低下を招くのである。そこで資本はインターネットの登場と並行して、電子金融市場を創設し、グローバリゼーションを加速してゆく。ソ連の崩壊に伴う東西冷戦の終了も資本市場のグローバル化に拍車をかけてゆくのである。 レーガノミクスでありサッチャリズムがそれである。

こうして70兆ドル強と推定される実物経済の規模をはるかに上回る電子金融市場が出現し、その規模は140兆ドルとも推定され、レバレッジを高めればさらに巨額のバーチャル・グローバル資本市場が出現している。グローバル資本は国家の軛《くびき》を越えて、地球上の何処であれ収益の見込めるところへ移動するのである。

グローバル資本は国家の軛を越えて、利益の得られそうな処であれば、国の内外を問わずに何処へでも移動する。今や帰属する国家と云う意識すら消えているのであろう。そしてグローバル資本は利益の見込める処というだけではなく、活動が制約されないところ、すなわち法人税率が低く、社会福祉負担が低いところ、消費者保護規制が脆弱なところ、生産活動規制が脆弱なところを目指すのであろう。

その文脈で云えば、グローバル資本主義とは無国籍資本主義に近く、20世紀末の社会民主主義的資本主義から、資本の本質である利益を最優先する横暴《凶暴》資本主義へと先祖帰りしたともいえるのであろう。 リーマンショックをひき起こしたサブプライムローンも、就業の自由さを拡大するという美名のもとでの派遣労働自由化も、グローバル資本主義の本質が目指している利益至上主義がもたらしたものであろう。

サブプライムローンのバブルと破綻はアメリカの中産階級を疲弊させたし、労働条件《雇用条件》の自由化は不安定な低賃金労働を蔓延させ日本の中産階級を疲弊させている。そして日本と欧米における《先進諸国》中産階級の疲弊と没落は、先進諸国だけにとどまるものではない。 新興諸国では、中産階級を形成することなく、一部富裕層と貧民層への二極分化を加速させている。

階層的二極分化だけでなく、米国では富裕層が多く居住する地域では貧困層居住地域から分離独立して新しい富裕層自治体を設立する動きがある。《サンデースプリング市》 日本で云えば北海道夕張市をどのように復興するかが問われているのであり、福島県浜通地区への強力な復興支援が問われている。 日欧米では一度は形成された中産階級というものが、新興諸国では形成されないか、形成されても一部にとどまり、国民は富裕層と貧民層に分化されつつある。 中国でも印度でも韓国においても、富裕層の富裕度は日本などをはるかに上回り、貧民度もまたはるかに下回るのである。 これがグローバル資本主義の本質なのである。

ここで茫猿は気づいた。この数年間、政府論調やマスコミで蔓延している美辞麗句は、その本質を覆い隠している「いいかえ、すり替え」に過ぎないのだと云うことである。 流布する美辞麗句の本質を考えてみよう。

◎就労条件の自由化、働き方の自由化 ▶︎ 雇用条件の自由化、雇い方の自由化
※就労条件とか雇用条件というものは、企業や雇用者の視点で語られるものではない。圧倒的に力の弱い被雇用者の視点から語られなければならない。

◎グローバル資本主義 ▶︎ 無国籍資本主義
※アベノミクスは大企業収益が改善すれば、その効果は自ずと中小企業の収益改善や雇用者の所得改善に及んでゆくと力説する。しかし、この升から溢れた収益が次に及んでゆくと云う発想は、とんでもない上から目線であり、企業は余剰収益を内部留保として確保しているのであって、次第に次のステージに及んでゆく状況にはなっていない。そもそも、グローバル資本が国内の中小企業の収益改善を考えるだろうと云う発想自体がお人好し発想なのである。グローバル資本主義の横行は富裕者層と貧困者層の格差を拡大し、グローバル大企業と国内中小企業の格差を拡大し、都市《東京》と地方の格差を拡大する。資本主義が資本の自己増殖を目指すものである以上、グローバル資本主義にとってそれは当然の帰結でもある。

※2014.12.09 OECDは「トリクルダウンは起こらなかったし、所得格差は経済成長を損なう」という衝撃の報告を公表した。

◎積極的平和主義 ▶︎ 消極的派兵主義《武力を背景とする介入》
◎防衛装備移転 ▶︎ 武器輸出《政府金融まで伴う》
※積極的平和主義と防衛装備移転は、米英仏露の道を後追いすることであり、政府金融まで後押しする武器輸出は兵器産業の支援であり、紛争拡大につながる輸出である。

◎戦後レジュームからの脱却 ▶︎ 戦前レジュームへの回帰
※東京裁判を否定し、大陸侵攻を正当化する論理から、何か有益なものが生まれてくるとはとても思えない。安倍総理は決めれる政治を標榜しているが、”決めれる”とは民主主義の手間隙かかる面倒な政治を否定することにつながりかねない。

水野氏は、グローバル資本への対抗策や解決策を示してはいない。ただ彼が書の末尾で、「より速く、より遠くへ、より合理的に」という近代資本主義を駆動させてきた理念を「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」と転じなければならないと云うのである。 成長至上主義から訣別して、定常状態を是とし安定を優先する経済へ舵を切らなければならないと考えるのである。 それは量的拡大を目指しナンバーワンを追い求める経済運営から、オンリーワンを目標とする経済運営へ質的転換をすることが求められているのである。

「資本主義の終焉と歴史の聞き」についての書評がBLOGOSに掲載されているから、リンクを表示しておく。
『資本主義の死』と『幸福』と『良く生きること』

《追記》 不動産鑑定士に読んでほしい本である。短期的な地価変動に目をうばわれがちな鑑定士であるが、長期的な視点や、経済運営《経世済民》にかかわる哲学も考えてほしいのである。 短期的には株高や地価上昇を招くものの「バブルの到来と破綻」が避けられないグローバル資本主義に視点を立脚するか、質的転換を果たす定常的経済に視点をおくか、どちらかに立たなくとも、どちらに比重をおくかくらいは考えていてほしいものである。 地価の現況を正確に把握することは、とても大切なことであるが、それが何に拠ってもたらされているのかを冷静に検証することも欠かしてはならないのである。

地価上昇の原因は需要が集中したからというのは答えになっていないので、集中した需要の実態は何モノかが大切なことである。 アイロニカルに申さば、茫猿の周りの鑑定士が里山資本主義に傾倒するのと並行して、リニアバブルに期待するのは如何なものかと考えるのである。ヒンターランドを持たないリニア中津川・美乃坂本駅は、岐阜羽島駅の半分ほどの経済効果ももたらさないだろうと、茫猿は考えている。

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