茫猿鉄道・番外編その2

番外編の続編である。茫猿が今も書棚の中に保存している、鉄道関連グッズが幾つかある。それらについて語るのであるが、マッ、埋草記事ではある。

『グッズの1 フィギュア』
コンビニ販売のペットボトルのお茶に、これがオマケに付いていたのがいつの頃か分からない。ネットで調べても2007年の路面電車シリーズしかヒットしない。この路面電車シリーズは全く気づかなかった。もうこの頃はコンビニでお茶を買わなくなってたのだろう。このフィギュア全シリーズを集めるために幾本ものペットボトルを買った。最後の一個が何だったかは覚えていないが、今も重複したフィギュアが幾つも残っている。

手がかりがある。フィギュアの台座に大宮鉄博のマークが見えるから、多分、鉄博開業の2007.10以後のことであろうと思われる。左上から時計回り順に、101系電車、0系新幹線、ブルートレインあさかぜ、ボンネット型特急ひばり、C57型蒸気機関車である。

『グッズの2 タイピン』
タイピンである。1964年、新幹線開業記念に当時の国鉄が諸方面に配布したタイピンである。デザインは0系新幹線で、ヘッドに小さな真珠がついている。丸みを帯びた特徴ある先頭が真珠のおかげで団子鼻に見える。配布から56年を経て箱はくすみ、印字も朧げである。

このタイピンが茫猿のもとにやって来たのは2016年のことである。大垣北高校同期生の悪仲間が高槻市の摂津峡に清遊した折に、幹事役を務めた茫猿の労を労って、河原くんが贈ってくれたタイピンである。河原くんの父君は元国鉄マンであり、北高在学当時は父親の転勤の関係から大垣市内に一人で下宿していた。

河原くんの父親から河原くんの手を経て茫猿のもとにやって来たのである。「56年も大事に保存していた親父の形見ともいえるものを頂く訳にはゆかない」固辞したのですが、押し付けるように手渡し、同席した同期生仲間も「鉄道マニアのお前が貰っておけ」と勧める言葉に甘えました。改めてよくよく見れば、当時の国鉄の大らかさなど新幹線56年の歴史も偲ばせる良い品である。「学校出てから五十云年 投稿日: 2016年5月13日
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『グッズの3 ピンバッジ』
茫猿が三度目の鑑定協会理事を務めていた、2011年のいつかの日のことである。会議室に入ると今西常務理事(現副会長)が近寄ってきて小袋を手渡しながら、箱根に行ってきたのでと言われる。今西さんから旅の土産を頂くようなお付き合いは無いけれどと訝しげにしていると「鄙からの発信」読んでますよ、鉄道がお好きでしょ。」と言われる。袋を開けると中には「箱根登山ケーブルカー・開業90周年記念」のピンバッジが入っていた。

お土産も嬉しかったが、何よりも彼が「鄙からの発信」の読者で、茫猿の鉄道好きを覚えていて、ピンバッジを見かけ買い求めていただいたということに感謝する。改めて、今西さん有り難うございました。🙇‍♂️  今も大事に書棚に飾っています。

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茫猿鉄道・番外編その2 への2件のフィードバック

  1. 草刈 善佐 のコメント:

    摂津峡からもう4年近くになるのか、懐かしい、またの機会を、切望している。

    ジオラマ完成時には、拝見したい、
    手土産はと、グルメのお主に悩んでいる。
    その時は、突如若年性?アルツハイマーになっているかも。

    北高の幹事会を誰だろうと想像したが、判明しない。
    ところで、信吾は俳諧ではあるまいな。
    稲葉も賀状じまい言ってきたし。

    • Nobuo Morishima のコメント:

      ジオラマはもう完成し、今は随時改修している。手土産など要らない、明るい顔を見せてくれれば十分だ。信吾は俳諧も徘徊もしていない。毎日、ジムでウオーキングをしているようだ。稲葉も変わりは無い。

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