サイトアイコン 鄙からの発信・残日録

サイトの旬

 ものごとには旬(シュン)というものがある。サイトにだって旬がある。自らのサイトについても言えることだが、他者のサイトにもそれを感じている。 注目していたのに、いつのまにやら更新されなくなったサイト、更新は続いているが何やら覇気というものが感じられなくなったサイトが幾つもある。 多分、扱っているテーマが旬を過ぎてしまった、あるいは注目を浴びなくなった。 書いているご当人に飽きがでてきたというかマンネリに落ちてきた。
 虚空に吠え続けることに疲れてきたのは、今に始まったことでもないが、いささかネタが枯渇してきたともいえる。今更に鑑定評価そもそも論を書いても仕方ないし、といってトピックスに遅れず付いてゆくには老朽化と劣化の進みが否定できない。 NSDI-PTの一段落というものも大きく影響しているのであろう。事務所の縮小移転もある。 フェードアウトしてゆくか、掲載間隔を延ばし休みを多くして、書きたいことが内部に沸々(フツフツ)と溜まるまで待つのか、そのあたりが思案の為所と考えている今日この頃である。


 民主党をめぐる様々については、マスコミの論調とは別の視点からの話がネットには溢れている。まさに溢れていると云ってよい状況である。 当然のことだが真贋とり混ぜる状況だし、正邪も定かではない。いずれ後世の判断に委ねるというのが妥当なところなのかもしれない。1972年の西山太吉事件(沖縄密約事件または外務省機密漏洩事件)が良い例だろう。 鈴木宗男・佐藤優事件も似たような傾向がある。 このあたりは、江川紹子氏の「東京地検特捜部の判断は常に正しい、のか」を読んでみるとよい。
 話は変わるが遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」(日経ビジネス・オンライン)最新記事に「勝間で生きられず、香山にもすがれない」というのがあるが、そのなかにこんなフレーズがある。

 『地方都市の悲しさを思う。地方ならではの密着型の慣習と因習、慣れ合いと付き合いと情け、今までは地方色の味だったそれが、健全な市場をよどませ、そこにあぶれた人たちと、毎年増える新人たちとの仕事の奪い合いを生む。それを尻目に、なんとしてでもその既得権を守りたい者同士は繋がりを強固にし、また、それを可能にするのが”地方的であるということ”なのだ。』

 なんとなく、鑑定業界の今を切り口鋭く言い当てているように思えてならない。彼女は続けてこうも云う。

 『世の中、スーパーポジティブな勝間和代で生きるか、弱者に優しい香山リカで生きるか分かれるところだろうが、私のように”ぼちぼち”と生きたい中庸な人間は都会と地方の狭間で揺れ続ける。
 格差社会と言われて長いが、本当に怖い格差は都会vs地方ではない。地方の中の強者vs弱者だ。
 仕事の敵は社内にあり。
 自分の敵は意思にあり。
 中国の敵は人民にあり。 』

 まだまだ寒い日が続いているから、水仙が長もちしている。

 紅梅は満開である。

 白梅は三分程度か。

 裏庭の白梅越しに今朝の伊吹を撮る。

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