あかはぎ(朱萩)を 散り敷いて むくろせみ(骸蝉)
とうとうこれを超える句を詠むことはできずに今生のお別れを申し上げます。
生前何やかやとお世話になりながら、格別の暇乞いもなく消え去りゆく非礼をお許し下さい。
今生に未練が無いと言えば嘘になりますが、長く人生を共にして来た友人が一人また一人と逝った今は、此岸への未練よりも彼岸への懐かしいような憧れが大きくなっております。
死者からの挨拶など縁起でもないとお怒りかもしれませんが、私の遺言により息子二人が死後旬日を経てから訃報として掲載する記事です。家族のみの密葬を遺言し、何かとご多用な世間様にいたずらにご迷惑を掛けることの無いようにと申し置きました故のことですから、彼らを糺すこと無きように願います。
また御香志や供物などの憂き世の義理もご無用に願います。あれやこれやと書きつづりたいこともございますが、今や全てが詮無い由無しごとに思えます。
では、皆様の長きご厚情にお礼申し上げて失礼致します。さようなら。
2020年10月5日月曜日(最終更新日)
鄙の桜守り・茫猿こと(亡)森島信夫 拝
『死亡日時 2020.10.02』
発信者:故人長男
(以下、父に代わりまして、息子より生前の御厚誼を謝しお礼申し上げます)
父 森島信夫儀 天寿を全ういたし去る2020年10月2日、行年77歳の生涯を閉じました。
本来なら早速お知らせすべきところでございましたが、ご通知が遅れました事を深くお詫び申し上げます。
なお葬儀は10月4日、家族葬にて相済ませました。誠に勝手ではございますが、弔問、香典、供物、弔電のご厚志につきましては固くご辞退申し上げます。
父は、ついこの7月に食道がんが判明しまして、二度の手術を受け回復を目指しておりましたが、その甲斐なく逝去いたしました。あまりにも急なことで、家族としましても、まだ父を失ったことが信じられない心境です。
生前の父は、強い信念を持ち、そして周囲への責任を果たすことを第一に考える人間でした。不動産鑑定士という職業人として、こよなく愛した故郷輪之内に住まう地域人として、そして私たち家族を守る家庭人としても、常に周囲に頼りとされる存在でした。
そのような自分に誇りを持ったまま、父はその生涯を全うすることができたことと確信しております。
父の逝去は10月2日でしたが、奇しくもこの日は、母との結婚生活が満五十年を迎えた日でもありました。この日のために、精一杯の闘病をしたのかと思うくらいです。最後まで、家庭人としての心配りを行き届かせた姿は、ほんとうに父らしいものでした。
先に掲載したとおり、このブログ『鄙からの発信』に掲載する訃報原稿の用意が残されておりました。故人らしい準備の良さですが、またせっかちであった生前の父の振る舞いも思い出され、モニターの前で思わず苦笑がこぼれております。
悲しみのなかではありますが、旅が好きだった父のことです。
「少し長めの旅に出立したのだ」、家族としてはそのような思いで、この日を受け止めております。
ここに生前のご厚誼を深謝し、故人に代わり厚く御礼申し上げます。
2020年10月5日 故・森島信夫 長男拝