今週の初めに気の向くままに岐阜県郡上市の県境油坂峠を越えて、蕎麦を探しに越前に赴いたことは前に記事にしたとおりである。その折は旧越美北線・現九頭竜線や蕎麦屋利休庵に巡り会ったのも既報の通りである。
だが、その日はもっと素晴らしいものに出会ったのである。それは「越前朝倉遺跡」である。時も時、NHK大河ドラマ「功名が辻」では浅井・朝倉を攻め滅ぼした信長が本能寺で倒れる時期であった。
朝倉遺跡の凄さというか素晴らしさは、信長に滅ぼされて焼け落ちた400年前をそのまま今に残していることにある。規模的にも時間的にもスケールが大きく異なるが「東洋のポンペイ」を自称するだけの理由もある。
多くの遺跡はその姿を正しく今に伝えていないのである。焼け落ちたり滅ぼされたりした後は礎石は、墓石までもが別の建造物用に持ち去られてしまうのである。さらに跡地は農地になったり山林になったりして、往事を今に伝える遺跡はそう多くはないのである。
ところが、朝倉遺跡は400年の間、1m余の土砂の下に埋もれていたのである。一乗谷が滅びた後、越前の中心地が福井市に移ったことや一乗谷の水害などが影響したのであろう、ほぼ全域の礎石や井戸や水路跡がそのまま昭和40年頃まで土の下で眠っていたのである。
前にも話には聞いていたが、聞くと見るとでは大違いであり、礎石だけとはいえその見事さに驚くのであり、戦国末期の越前朝倉氏の繁栄ぶりがまざまざと偲ばれるのである。一部が時代考証のもとで復元されてあり、往事を想像するすべになる。今回は時間の都合で庭園跡など多くを見逃したが、次は時間を掛けてゆっくりと全てを見たいものである。
朝倉遺跡については、こちらのサイトが詳しいので、写真の後、詳細はこちらへどうぞ。
当時の家屋が復元されている遺跡の外観である。
なにやら映画のセットみたいであるが、きちんとした建築で張りボテではない。中世にタイムスリップできる。
復元遺跡の中央の町筋である。
復元遺跡のジオラマである。
発掘された礎石を現況保存されている部分である。礎石しかない町筋を歩くのも一興である。
遺跡の中央に位置する朝倉屋敷の唐門である。唐門は朝倉義景の善提を弔う松雲院の寺門で、豊臣秀吉の寄進と伝えられる。
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