朝からミゾレ混じりの寒風が吹いています。真冬に戻ったような今朝です。 被災地では雪だろうと思えば、暖房を使う気にもなりません。
昨夜のテレビで、電気事業審議会関係の方が、計画停電は東日本のこと、西日本は東日本の分も頑張ってほしいと述べていました。 一緒になって沈んでいてはよくないとも言ってたように聞きました。 悲しみを分かち合うことは大切なこと、だからといって気張って日常活動をすることとは別なのだと思います。 不謹慎とか思いやりがないという批判も受けるだろうとは思いますが、やはり東の分も、西は気張らねばと思います。
【仲間の安否】
被災地の仲間達の安否が気懸かりです。事務所は安全でも鑑定評価の現場で被災していることもあるのではと心配です。 でも、やたら問い合わせるのはためらいます。 そこで、鑑定協会のイントラネットやメルマガを使って、近県や余裕のある被災地会員から安否情報を集めて、会員宛にネットで広報したら如何と事務局他に提案しました。
今朝ほど、鑑定協会事務局からRESが入り、『会員の安否状況を事務局で確認したところ、昨日(03.15)時点で6名の会員については、まだ安否が確認されていない。』とのことでした。 安否未確認会員が無事であることを願います。
寒風のなかですが、蕾は膨らんでいます。 コブシのつぼみ。
そして、大島桜のつぼみ。
【追記:耳を傾けていたら】
こんな点検申し入れ文書が2007年に発せられていることを、Twitterから知りました。
この申し入れが、真摯に受けとめられていたらと思います。特に申し入れ事項第4項は刮目です。
【福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ [2007.07.24] 】
【追記:自衛隊の補給作戦能力】
今こそ、「自己完結能力の有る機動集団:自衛隊」の作戦能力が試されている。 戦闘は前線ばかりではない。 前線と同等に、時にそれ以上に大切なのが補給兵站能力である。
二万人から十万人に増派というからには、食糧、燃料、飲料水などの物資補給作戦が試されている。 陸海空合同作戦で、東北50万人の被災者を救援する作戦の立案遂行能力が試されている。 行方不明者を捜索するのも、瓦礫を除去するのも大事なことだが、ただ今、寒さと空腹にふるえている被災者(友軍)を救出するのも大事な任務であろうと考える。
地震を第一波の襲来と置き換えれば、第二波はTSUNAMIである。 そして第三波は原発事故と置き換えられよう。今は寒波が襲来している。 国家安全保障という観点からすれば、それら大規模な襲来に対して国家の指揮命令系統が混乱しているように見える。首相官邸をトップに、現地県庁等自治体、自衛隊、警察庁、消防庁、医療機関&東京電力そして各省庁を横断的に連絡調整する組織は立ち上がっているのだろうか、報道からは見えてこない。 どうも縦割りのままに今日に至っているように見える。
青森県知事がこの非常事態のさなかに、霞ヶ関に出向かなければならない(03.16午前に上京)、南相馬市長が報道インタビューを通じて救援要請を訴えるなど、真逆の情報伝達方法ではないのか、とても疑問である。 被災地現場はさほどの混乱を示すことなく落ち着いて対応しているのに、肝心な東京が混乱しているように見える。
照明・エレベーターの半減、エアコンの使用中止、不要不急電飾や夜間照明の停止など具体的節電方法の指示もない。 最悪は食品や燃料の買いだめである。世界が日本の秩序維持を称賛していると云うが、よくよく見れば東京圏における混乱はほめられたものではない。 50万人もの避難者を現地周辺で収容するのは無理であろう。 希望者をまとめて大型客船や飛行機をチャーターして、暖かい西日本へ移送するなど考えられないだろうか。
さいわい春休みに入るのだ。 非常事態に対処するに尋常手段では対抗できない。 第一、救援物資を輸送するよりも避難者を西日本に移送する方が早くて的確だろうと思える。 もちろん、遺体や行方不明者を残して離れられない人もいるだろう、現地で働く家族を残してゆけない人もいるだろう。 あくまで希望者、希望家族、重病人に限っての話である。 大阪府が東京都のバックアップを引き受ける時だと思う。
【追記:バックアップ機能】
このような大災害を経験した時に、学ばねばならないことがある。 それはデジタル時代におけるバックアップ機能である。 個々の事務所のバックアップは個々に考えるとしても、事務局バックアップ機能を真剣に準備しなければいけないと考える。選択肢は幾つか有るが、有効でコストパフォーマンスに優れたバックアップ機能を準備したいものである。 クラウド・コンピューテイングなども検討材料であろう。
【追記11:45 仲間の安否】
仙台や盛岡から仲間の無事を知らせるRESメールが届き始めている。
仲間の無事には安堵するが、彼らの家族や親族の安否が未確認と伺えば、お見舞いの言葉もない。
どなたも生命は無事でも、事務所や自宅は惨状を呈しているようである。
遠くからお見舞いするだけで、何も手伝えないのが、とても歯がゆいことである。
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