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2017岐阜県鑑定士会名簿

2017年度・岐阜県不動産鑑定士会名簿が送られてきた。
パラパラと名簿をめくっていて、パラパラと云うほどでもない七頁の薄い名簿である。しかも七頁のうち三頁は地価公示解説頁である。 常ならば、岐阜鑑定、岐阜不動産鑑定、岐阜不動産研究所と、お歴々に数えられる三つの事務所が名簿に並んでいるのに、そのうちの二社が名簿から消えていた。

風の便りも挨拶状も届いていないが、どうやら二社は業登録を廃止されたようだ。他にもお亡くなりになって名簿から消えた一社があるから、士会業者名簿は昨年時の43社から40社になっていた。《茫猿も含めて士登録会員数は51名である。》

前号に記事数3000号を前にして、逡巡していると書いた。逡巡する気持ちからすれば、この号だって埋め草記事になるのかもしれない。でも畏友 あえて畏友と呼ぶ、ともに数年から十年程度私より後輩だが畏友でもあった鑑定士である。

その後輩たちが消えてゆく。昨年亡くなった方も後輩である。斯界に若い方が増えず、高齢化が徐々に進み、会員数も微減するという状況は、日本の少子高齢化という大勢のなかでは逆らい難いことなのであろうかと考えさせられる。

茫猿が1974年に岐阜市内に事務所を開設したとき、先輩事務所は岐阜県内に五社だけだった。いずれも茫猿の父の年代の方々であった。いずれも不動産鑑定士特別試験にて合格された方々であり、二次試験組開業者は茫猿が県内第一号であった。それから幾星霜、士協会の来歴資料は手許にないが、士協会サイトでは2004年・会員数45名、2011年・会員数50名とある。

近年までは僅かながらも増加傾向を辿っていた士協会会員数も、今や微減傾向を辿るようになったということであろうか。名古屋に隣接しながら微減傾向にある地価と同じ傾向に鑑定士数もあるということなのか。

《閑話休題》窓外を見れば、梅雨に入ったばかりというに雲一つない夜空中空に、満月が差しかかっている。アメリカではストロベリームーンと云うのだそうな、ストロベリーとは月の出の頃の赤く見える月色をいうのであろうが、月の出る頃は曇り空だった。芋名月や栗名月にならって云えば、さしずめ梅名月とでも云おうか。

 

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