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爛漫の春

 爛漫の春である。あと十日もすると最長九日の連休が始まる。東京では今日の最高気温が13度と、ニュースが花冷えを伝えている。我が廻りでは快晴の空の下、選挙カーが野暮に走り回るが、花はそんなことはお構いなしに爛漫満開である。


 長崎の市長襲撃事件は逆恨み暴力のようだが、何ともやりきれない思いである。米バージニア工科大で32人が殺害された銃乱射事件もやりきれない思いがする事件である。さらに今朝の新聞朝刊では一面トップにバグダッド爆弾テロ164人死亡とある。
 平和な日本の長崎での襲撃事件、のどかに見えるアメリカのキャンパスでの乱射事件、戦乱の巷イラクでの爆弾テロ事件、それぞれの事件から受けた我が身の衝撃の重さ深さが違っているのに気づくと、「人一人の命の重さに変わりはない」というのが浅薄な建前に過ぎないのではと思い至るのである。それもまた、何ともやりきれない思いなのである。その事実の前にどのような言の葉を並べようと無力なのではと暗澹とする。頭を垂れて合掌し祈るしかないのである。
 雲一つ無い蒼天を背景に爛漫の八重桜と若葉の美である。
 「つながる空の下 散る命あり 散る花もあり 」
 
 
 この平和さをアメリカから見れば、やはり直接に戦争を抱えていない平和なのだと見えるのだろうし、イラクからは想像もできないのだろう ?!
  「北斗の拳」ラオウの葬式に3000人参列
 目くじら建てるのは野暮なのであり、イベント・ショーなのだと受け取ればよいのであろうが、ことが葬式ショーだけに釈然としない。それに、これも平和故の出来事なのだろうと思えば、平和であることの重みを感じると云えば、考え過ぎか。

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