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壁と卵

 村上春樹氏については、しばらく前に「海辺のカフカ」、「ノルウェイの森」などを読んだ。名前は知っていてもなぜか手に取ったことがなかったが、その夏に一気に読み終えた記憶がある。 その村上氏がイスラエル賞を授賞したという。(09.02.15) 授賞の報道があってからはナニカと騒がしく、ネットどころか、マスコミでも辞退すべきだとか何とか評されていたのであるが、氏はイスラエルに出向き授賞したのである。 が、その授賞スピーチがすばらしかった。


 彼は「壁と卵」という授賞スピーチを行ったのである。それほど深く考えなくとも「壁」はイスラエル軍であり、「卵」はガザ居住のパレスティナ難民の比喩であるくらいは誰でも判る。 浅く沸騰しやすい日本人なら授賞を取り消そうとするかもしれないほどのスピーチである。でも、それだけではない。
 村上春樹氏の念頭にあったのは、ガザ地区を取り囲む壁、パレスティナ入植地を囲む壁だけではあるまい。 低開発国を囲む壁、格差を恒久化する壁、外なる壁に内なる壁、壁は何処にでも誰にでも存在すると云いたかったのであろう。 そして、彼は常に壁の側には立たず、投げつけて砕ける卵の側に立つと云うのである。 近来稀にみる日本人のすばらしいスピーチである。オバマ米国大統領の就任演説よりも何倍もすばらしいと思う。 それが日本マスコミではあまり評価されなかったのか、それともナニカ別の理由があるのか、定額給付金騒ぎなどの陰に隠されてしまったのが残念である。
 おとど・ナカガワル氏はローマにてマスコミ数紙の女性記者と呑み過ぎて失態をしでかしたと、ネットでは流れているが、マスコミでは女性記者を派遣しなかった毎日が報じたくらいである。 そんな日本のジャーナリズムとも云えないマスコミのダラシナサに比べて、《The Jerusalem Post》は大したものです。 村上スピーチを掲載して今でも世界中に読ませているのですから。 村上氏の授賞写真も掲載されています。 
【Israel is not the egg】
When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?
 受賞を受け入れるかどうか訪ねられたとき、ガザでは戦闘が行われていましたから、イスラエルを訪れることを警告されていました。 私は考えました。 イスラエルを訪れて良いのか、それは戦うどちらか一方を支持することにならないだろうか?
If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.
 もし、硬くて高い壁があって、そこに卵が投げつけられていたら、どんなに壁が正しく卵が誤っているとしても、私は卵の側に立ちます。
Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.
 どうしてか?なぜなら、我々はみな卵だからです。同じもの二つとない魂をもろい卵の中に包むからです。我々は、誰もが高い壁に直面しています。 高い壁とは、個々人に普通なら行わないだろうことも強制するシステムのことです。
《追記》 村上春樹氏の「壁と卵」については、このサイト:Bookmarks=本の栞が一番真摯なようである、一見の価値ありです。 この記事で一番気になったのは、スピーチの翻訳もさることながら次の記述です。

 授賞式にも参加したというイスラエル在住の友人に教えてもらったんですが、イスラエルは日本よりよっぽど「言論の自由」があるので、村上春樹のスピーチも特に政治的に冷たい扱いを受けることはなく、スピーチもスタンディングオベーションや拍手の嵐だったそうです。
とはいえ、村上春樹が出席を決意したのは、そういう予備知識のない状態、日本でテレビや新聞で報道されていたように「勇気あるなぁ」という状態だったと思います。

 それから、このサイトが引用し紹介している幾つかのサイトを読み比べてみるとよい。一つの出来事がどのように広がるのか、いいえ拡げられるのかを知ることができようというものである。 改めて、自分の目で見ることが、耳で聞くことが、何よりも考えることが、いかに大切かと思い知らされる。

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