頂門の一針どころではない激針(ゲキシン)に出会った。 日頃からデジタル化の進捗は鑑定評価のコモデテイ化を進めるから、心しなければならないと思っていたが、こうもストレートに指摘されると、ぐうの音も出ない。
医師、弁護士、建築家、会計士などの知的職業にたずさわるアメリカ人は、人間同士の微妙な触れ合いに精通しなければならない。なぜなら、デジタル化できるものはすべて、もっと賢いか、安いか、あるいはその両方の生産者にアウトソーシングできるからだ。
バリューチェーン(価値連鎖)をデジタル化でき、切り分けることができ、作業をよそで行えるような活動は、いずれよそへ移されます。
以上、『フラット化する世界 』 フリードマン 日本経済新聞社より引用。
鑑定評価業務にパソコンが必須になったのは十年くらい前だろうか、i-NETが必須になったのは二、三年前であろうか。 地価公示では2009年公示からデジタル納品が始まっている。 鑑定士がペンを持たず、キーボードを叩くようになってから、業務の多くをスタッフが代行するようになった。 データの作成、データベースの検索・入力、演算ソフトを起動して行うシミュレーション等々、時には鑑定士よりもはるかに練達したスタッフが存在するようになった。
様々なかたちで不動産鑑定評価書のコモデテイ化も進んでいるから、『デジタル化できるものはすべて、もっと賢いか、安いか、あるいはその両方の生産者にアウトソーシングできるからだ。』というのはけだし至言であろう。
十数年以上も昔、パソコンで数値比準表演算ソフトを組み立てて披瀝したら、「そんなものは鑑定評価ではない。ただの算定だ。」と、見向きもされなかった記憶がある。 今や、地価公示に数値比準表を利用することについて、どこからも異論が聞こえてこない。
『人間同士の微妙な触れ合いに精通しなければならない。』とは、おぼろげには判っているつもりだが、具体的には何も判らない。 茫猿は、不動産が人間の生活と活動の基盤である以上、不動産に関わる鑑定士は《人間社会に対する洞察力》を磨かなければならないと、常々考えてきた。 不動産の有り様、在り方について、《自らの立つ位置》を明確にしなければならないとも思ってきたし、ある種の人生哲学について考えたこともない、考えようともしない鑑定士は、ただの鑑定屋であるという前に、危険な存在だとも考えてきた。
デジタル化の進展は即ちパソコンの駆使につながるから、電卓や算盤の世界では有り得なかった精緻な《一見しただけでは精緻な》評価工程の組立が出来るし、カタカナや術語が判らなければとても理解できない評価書も作成可能なのが現在である。 割引計算を駆使する収益還元法は言うに及ばず、原価法も取引事例比較法も詳細な積算とシミュレーションが欠かせないものとなっている。
しかしテクニカルに走るあまり、試算の基礎とするデータが生成された背景を洞察しようとする意欲も能力もなおざりにされているような気がしてならないのである。 試算基礎データだけではないので、試算工程で採用する係数も、価格の決定に際しても、アナログ的ツールが欠かせないと、茫猿は考えている。
こんな風に言えるのである。 【古い奴だとお思いでしょうが、不動産取引・賃貸・建設・建築の背後には”義理”や”人情”が秘やかに息づいているものです。 あっしらは、そんな世間のシガラミにも目を遣るのでございます。】
「フラット化する世界」は暫く前のベストセラーのようである。知らなかったのは茫猿だけかもしれないが、遅まきながら購入して読んでみようと思う。 「グリーン革命」も話題だから、とりあえず購入だけはしておこうと考えている。
『フラット化する世界 』 フリードマン著 日本経済新聞社刊
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