鄙里の一番桜

我が鄙里の一番桜が咲き始めた。

一番桜というのは、孫娘が誕生したのを記念して鄙里の一隅に植樹した緋寒桜(寒緋桜ともいう)のことである。植樹したのは2013年3月3日雛祭りのことである。花ひらく季節が巡り来たる毎に、桜の成長を眺めて孫の成長を思い浮かべている。早いもので、彼女はこの春には二年生に進級する。

我が鄙里には鄙桜(山桜)、大島桜、大山桜、八重桜、枝垂桜、河津桜(幼木でありまだ花は咲かない)、桜桃、それに染井吉野桜が植栽されているが、そのなかで春一番に咲くのがこの緋寒桜である。だから一番桜なのである。桜桃は次女の誕生を記念して植樹したサクランボの実る桜である。四月になれば花盛りとなり昨春からは紅いサクランボを実らせている。

昨 2019年は02/25に、2018年は03/10、2017年は03/13、2016年は03/07、2014年は03/14に開花を記事にしている。2015年はなぜか3月中旬に緋寒桜開花と記してある。何れにしても昨年といい今年といい、例年なら3月中旬に開花するものが2月中に開花する気候である。

開花時期の捉え方は、一輪の開花を見つけたら「開花」というような厳格なものではない。昨年の写真では数輪開いているだけである。この数日は雨模様だったり外出したりで、鄙里をしっかり見回っていないから、正確な開花日は判らないが、数日前の模様である。

緋寒桜が早ければ、鄙桜も早くなるだろう。今年の鄙桜はいつ頃開花するのだろうかと気も漫(ソゾ)ろとなる。憂きことの多い昨今なれば、早く鄙桜の下でスパークリングワインでも開けてみたい。

桜といえば、岐阜県根尾には有名な淡墨桜がある。淡墨桜は樹齢1500年とも云われるエドヒガン桜の古木である。根尾に出向けばこの桜の実生苗木が販売されているが、今から植えても花が咲く頃に茫猿はいないだろうと思えるので植栽はしていない。それに桜は若木のあいだは花付けも少ないし、この桜は大木になるから後々大変なことになるであろうとも考えて植えていないのである。後々といっても、数百年後のことではあるが。

今にして思うのは、10年以上も前に茫猿の背丈くらいだったこの実生苗木を購入して植えていれば、この春頃にはそれなりの花見ができていたものをと、少し悔やんでいる。今からではもう遅すぎると考えるか、10年しても米寿前と考えるか、難しいところだ。でも、鄙里には鄙桜がある。この春も見事な花を咲かせてくれるだろうから、鄙桜の前で薄墨桜を考えるのは浮気なことだ。櫻という字は二貝(階)の女が木(気)にかかると書くのだから、多少の浮気心は許されようか。

《追記 2020.02.29・最近の茫猿鉄道ジオラマ、微補修正作業》
微補修正作業は微なれども、美を保つのが老眼で震える手先には疲れる作業である。なれども雨模様の日には、これでもジックリと取り組むのである。

最近は路面電車軌道敷の走る市街地ブロックの背面に位置する壁(高台の山寺地区とを隔てる壁)が塗装は為されているもの、常に正面に見える壁面であり塗装だけでは随分と物足りないのである。

そこで、この壁面に芝をはやし、所々には土の見える崖模様、所々にはブッシュを設けるのである。このように不細工さが気になるところを、時々に補修性している。茫猿鉄道ジオラマの竣工を告知したのは2020.02.24であるが、それからの一週間にも数度の補修性を加えて随分と完成度を増したと悦に入り、これまた自作自賛している。何処がどう変わったかなど読者諸兄にはお判りにならないだろうが、「茫猿鉄道・番外編その1  2020年2月26日」記事に掲載する何枚かの写真と、路面電車の走る市街地背面を見比べて頂ければ、違いがわかる茫猿ジオラマ通になれます。のっぺらぼうな壁が深みと奥行きのある壁に変わったと自賛しています。

《見比べる手間をかけるような、お暇な読者氏は無かろうと思います。 軌道敷に電気機関車が鎮座しているのは不釣合いですが、軌道の通電走行テスト用に走りの良好な車両を置いているだけです。》

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