風邪もおさまったようだし陽気もよいことから、今朝から畑仕事を再開した。凪の如き日々とはいえ、時候ごとにお定まりの野良仕事を一つ一つ片付けてゆく。頼みがたきは明日のこと翌月のこと翌年のことと承知しているけれど、今日為すべきことを為してゆかねば明日を迎える甲斐もなしと思い定めている。
暮れから年明けにかけて暖かかったせいであろう、椿の花が常よりは早く咲き始めている。この椿、桜が散る頃には一面の花筵《はなむしろ》を見せてくれる。母が亡くなった翌年くらいからでしょうか、この花むしろの上で九十を迎えた母が三歳の孫と遊ぶ姿が目に浮かぶようになりました。
ことしも鄙桜をライトアップして鎮魂の夜桜を眺めたいと思い、陽春の椿の木陰の花むしろに娘と母の姿を追いたいと願っています。娘の命日は四月十八日《43年忌》、母の命日は五月八日《七年忌》、今年は母の日と重なります。
吾娘《あこ》と母 遊ぶ影見ゆ 花むしろ 《茫猿》