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枇杷の花

ふたりがいなくなって初めて、晩年の老親たちの気持ちが実感として判るようになりました。 一昨日、友人達が弔問に訪れてきてくれ、ささやかながらお斎をさし上げて談笑しました。 準備をし楽しいひとときを過ごした翌日は、閑かな日常にもどりましたものの、何やら言いしれぬ寂寥を感じました。
生前の父母が孫たちの来訪を心待ちにし、来てくれれば気持ちが高揚しているのが手に取るように見えたものです。 しかし、孫たちが帰ってしまった後数日のあいだ、彼らは鬱かと思えるほどに沈み込んでいたものです。そんな彼らの心の動揺は晩期になるほど大きくなり、見ていて辛くなるほどでした。 待ち、高揚し、そして沈む、盆暮れに孫たちが帰省しない時の沈みようなど、くっきりと思い出せます。


表題の枇杷の花が咲きました。秘やかな香りを漂わせる小さな花です。

今朝の茫猿は日常を取り戻しております。今朝ほど朝陽に輝く藪を眺めていますと、何やら浄土を見たような気分になりました。

方向を変えて、浄土その二。

この頃は朝のNHKドラマ「てっぱん」を楽しみにしています。 岐阜の事務所へ通っていた頃は見ることもなかった朝ドラですが、今年は見るともなく見ることが多くなり、今は富司純子さんの笑顔が朝の楽しみです。 緋牡丹お龍:藤純子には、その妖艶さに息を呑んだものですが、今の富司純子さんには、年齢の近さもあってか、歳月を経ても衰えぬ容色が嬉しく、いいえ歳月を加えて深みを増した笑顔に惹かれています。

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