ふたりがいなくなって初めて、晩年の老親たちの気持ちが実感として判るようになりました。 一昨日、友人達が弔問に訪れてきてくれ、ささやかながらお斎をさし上げて談笑しました。 準備をし楽しいひとときを過ごした翌日は、閑かな日常にもどりましたものの、何やら言いしれぬ寂寥を感じました。
生前の父母が孫たちの来訪を心待ちにし、来てくれれば気持ちが高揚しているのが手に取るように見えたものです。 しかし、孫たちが帰ってしまった後数日のあいだ、彼らは鬱かと思えるほどに沈み込んでいたものです。そんな彼らの心の動揺は晩期になるほど大きくなり、見ていて辛くなるほどでした。 待ち、高揚し、そして沈む、盆暮れに孫たちが帰省しない時の沈みようなど、くっきりと思い出せます。
表題の枇杷の花が咲きました。秘やかな香りを漂わせる小さな花です。
今朝の茫猿は日常を取り戻しております。今朝ほど朝陽に輝く藪を眺めていますと、何やら浄土を見たような気分になりました。
方向を変えて、浄土その二。
この頃は朝のNHKドラマ「てっぱん」を楽しみにしています。 岐阜の事務所へ通っていた頃は見ることもなかった朝ドラですが、今年は見るともなく見ることが多くなり、今は富司純子さんの笑顔が朝の楽しみです。 緋牡丹お龍:藤純子には、その妖艶さに息を呑んだものですが、今の富司純子さんには、年齢の近さもあってか、歳月を経ても衰えぬ容色が嬉しく、いいえ歳月を加えて深みを増した笑顔に惹かれています。
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数か月ぶりでアクセスしました。迂闊にも今日初めて、ご両親様のご逝去を知り、胸を衝かれました。
心よりお悔やみを申し上げます。
今はただ、胸の奥で、思い出の時間が静かに流れていくのを待つだけです。
枇杷八つ手ほかに花なし冬の庭 永井荷風
四季折々の草花の写真に、心洗われる思いです。
今年も、止揚学園に年末のご挨拶を致しました。福井達雨先生より、いつものように深みのある筆跡のお手紙をいただき、感動しました。
止揚学園で働く先生方を思う時、鑑定業界のことなどは、些細な領域だと思ってしまいます。
それにしても、茫猿様の日常は、穏やかな日日の中で、先人の夢「日出でて作し、日入って憩う、井を穿って飲み、田を耕して食う」に近いようです。数年後は、人生の達人になっているでしょう。誰もができるわけではありませんが・・・羨ましい限りです。
止揚学園への変わらぬご支援並びにコメント有り難うございます。人生の達人などを目指すつもりはございませんが、日々を楽しく過ごせたらと思っております。できれば、鑑定評価の経験を生かしたことを何かできればとも考えますが、今は晴耕雨読の日々を願っています。