吠えることに慣れてはいるが、吠えることは疲れることである。茫猿もひとの子、幾つになったって、あんな話をして傷つけたのではとか、こんな話で悲しませはしなかったかとか、ひとしきりは反省するのである。ときに悔やむことさえある。それでも言うべきと思ったことは言わねばならない、沈黙は金などではなくて、ただの黙認であり、ときに世慣れたすり寄りなのだと思っている。
それにしても執行部の誰彼は、「一線を離れた呑気な年寄りが気楽なことを言ってやがる。 現場は大変なんだ、あっちを立てればこっちが文句言うで、そんな苦労が判っているのか。 ウザェー ジジィーダョナー (≧_≦) 」などと思っているのだろうな。 そんな気疲れを感じるときには野の花に救いを求める。
じゃが芋の花が咲いている。 あと暫くすれば芋掘り時期だろう。
それにしても観賞用の花々に比べて、野菜の花はどうしてこんなに美しいのだろうかと不思議である。 たとえ方は良くないけれど、観賞用の花々が見られることに慣れている化粧上手な女であるとすれば、野菜の花は鄙の破れ屋にひっそりとたたずんでいる素顔の綺麗な女と云えようか。
桜(大島桜)の実も色濃く実っている。今年は種を穫って播いてみようかと、ふと思うけれど、この実が芽吹いて成長し花を付ける頃に、茫猿は何処にいるのであろうかとも思うのである。
こちらの桜(鄙桜)は実も小振りでまだ熟す前の鮮やかな赤である。
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生き続けましょう。生者あらん限り、死者は生きん。