梅雨どきの花

雲ひとつない快晴、梅雨晴れの日である。梅雨とは云いながら、当地では晴れ空と曇り空が既に一週間以上続いている。最後に雨が降ったのは先々週末(06/16)のことで、その日以来降雨量はほぼゼロである。そんな夏至(06/22)の頃の鄙里を切り撮ってみる。

参議院選挙を前にして、安倍総理の目にあまるメデイア・ジャックが続くが、政治を市民の手に取り戻すには、選挙で目に物見せるしかあるまい。けれども今の日本国民を何処まで信じてよいのやら五里霧中である。そんななかで、沖縄慰霊の日(06/23)に沖縄県糸満市で開催された追悼式で「基地負担の軽減に全力を尽くす」と強調した安倍晋三首相に、会場からは「うそだ」「言葉は要らない」と厳しい抗議の声が上がったという。

口を開けば「沖縄の人たちの心に寄り添い」とは言うものの、辺野古の埋め立ては止むことなく続けられており、口では寄り添うと言いながら行動は真逆に動く安倍総理を支持することは到底できまい。そんなうっとうしい政治模様とは真逆の今日の空模様なのである。

さて、雲ひとつ無くあまりにも蒼い空に怖さすら感じる、その青空に映えるダリアの赤い花。夏至の濃い陽射しのなかで、陰影も濃いクチナシの白い花。

こちらも葉陰に咲く白い花、夏椿。

梅雨どきの定番、アジサイの花。

同じアジサイでも、こちらは額紫陽花。

《追記》今日は終日転寝(うたた寝)にて過ごす。
05:00 起床、洗面、庭木に水遣り
06:30 ナス、大根、インゲンにて味噌汁を作し朝食
08:00 カメラを片手に梅雨の花、紫陽花を撮りに出る。
その後、昼前に「鄙からの発信」本記事をアップする。後はヒネモス ウタタネ 17:00に到りてセイゴオちゃんねる〈松岡正剛HP〉にて「今回は“75才になって思うこと”。『それで思うのは、そうか、ぼくはこうして死んでいくのだろうということだ。読み遊んで死んでいく……』」を読みて、追記を記し始める。

ここ暫く晴れが続いたから、当然ながら野良仕事に日々勤しんだ。ジャガイモの掘り採り、跡地のすき起こしそして除草、ジャガイモはダンシャク、キタアカリ、インカのメザメである。トマトとナス畑の畝間を除草。農小屋の脇を耕してヒマワリを定植する。毎日、午前中の3〜4時間程度の作業だけれど、連日と云う事もあるし、柘植植込みの除伐・抜根・転石・置石作業の疲れも抜け切ってはいなかったようである。 「75才の私は日がな一日うたた寝にて過ごす、そうか茫猿はこうして死んでゆくのか。」

雑木林が西陽に照らされる夕景を見ていると、なにやら目頭が熱くなる。この景色、デジャブのようにも、来夏も見れるのかとも思うのである。過去のフォローコメントを見ていて、こんな返事を見つけた。「いずれ病状が落ち着いた頃に、新ジャガでもぶら下げて近況報告に伺います。」、この昨年五月の頃の約束がまだ果たせていないのに気づいた。明日は新ジャガをぶら下げて、近況報告に伺ってみよう。

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