2020・㐂壽翁の墓参

一度は天寧寺の枝垂れ桜を観たいといつも思うのだが、桜の頃の混雑を避けて今年も京都観光客の閑散な二月に中村くんの墓参に向かう。ところが猛威を振るう新型コロナヴィールス感染症の影響なのであろう、新幹線も京都駅も昨年よりも閑散としていた。こんなことなら枝垂れ桜の頃に訪れても良かったのではと思わされる。

シャトル切符で京都へ向かう途中、米原付近は晴れていたが、近江八幡付近では吹雪いており地表は真っ白だった。京都では小雪が舞う程度であった。それでもこの冬一番の寒さだった。天寧寺額縁門から望む比叡山は薄っすらと雪化粧していた。

墓参ののちに見舞ったH田くんは、発症してから十ヶ月を経過し専門医による抗がん剤治療が功を奏して、容態は小康状態を取り戻していた。感染症に侵されることなく再発も無しに順調な回復を願うものである。墓参と見舞いに同行した中村夫人とはほぼ5年ぶりの再会であったが、お変わりなく元気そうだった。

高台寺和久傳の分け店祇園・白にて並んでおはぎを買い求めたり、駅ビル9階のカトーでジオラマ材料を、アステイの松栄堂で香を、伊勢丹地階でふぐちり用のアラを買い求めたりとあちらこちらでの買い物や前夜の松田くんと飲み過ぎ、それにバッグをトイレに起き忘れて冷や汗をかいたりなどで随分と疲れた墓参だった。それでも兎にも角にも㐂壽を迎える翁が無事に墓参を済ませられたのは何よりのことだった。

四条通り南側、大和大路東側、祇園街の深部に所在する”白”の好ましいたたずまいである。11時の開店前に既に数名の行列ができていた。茫猿が二箱買い求めたおはぎは、あと数名で当日販売分は売り切れとなった。

博一くんが旅立ってから早や五年、彼の縁(エニシ)につながる者四名のひとときの語らいを済ませ我が家に帰りきた今は、年に一度の墓参を今年も果たせたと何やら安堵に近い思いでいる。妙な表現かもしれないが、「今できること為したいことを今のうちに」と思いつつ、50年を共に過ごした夫婦がこの冬も河豚チリを賞味できる幸せを味わっている。そしてその日々は、やがて必ず来たるであろうゴールへのまた一歩なのだとも。

稀に見る暖冬だと思っていたら、暦通りの「春寒」の季節が巡ってきたようである。先ずは「日々是好日」を目標に一日一日を暮らしてゆければと願っている。不落因果、不昧因果、そして到る処青山有りと玄侑宗久師は云う。《因果に落ちず、因果を味(クラ)まさず、到る処青山(死んでもよいと思える処)あり、それが日々是好日なのである》

《覚え》
2015.06.28 博一死す。
2015.10.15 百箇日墓参(松田と徹子さん)
2016.06.20 一周忌墓参(松田と縫谷と飛田)
2017.02.28 墓参(松田)
2018.03.03 墓参(独参、松田を見舞)
2019.02.17 墓参(松田)
2020.02.06 墓参(松田と徹子さん、飛田を見舞)

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