第八期茫猿鉄道ジオラマの制作記録

 第八期ジオラマ制作の記録を、写真を中心に取りまとめてみる。其々の写真に関わる詳細は”茫猿鉄道2020” -1- から -4-、そして茫猿鉄道のその後、茫猿鉄道のこだわり、茫猿鉄道の拘り-2- などの記事に記してある。カテゴリー「線路ハ何処迄モ」で一覧できる。

《なお、写真の内どれでも一枚をクリック展開し、写真画面左下のスライドショー再生をクリックすれば、スライドショーが開始される。》 《継続制作中です》

2020.02.24  孫たちと遊びたくて、孫たちのウアオーと言う歓声を聞きたくて、
正月明けの01.13に始めた第八期茫猿鉄道ジオラマが、ようやくに竣工を迎えた。
竣工を記念して雄々しく出発進行する
C62型山口号蒸気機関車(山口線の新山口駅 – 津和野駅間で運行している)である。
牽引するのはオハ35型客車である。

《2020.01.13から今日に至るジオラマ制作の一連の経緯を記す。》
2020.01.13 正月明けに一念発起して始めた5年ぶりのジオラマ製作である。

当初に制作した基盤は、L183cm╳W150cmである。

 以下、似たような写真が何枚も並びます。時の経過とともに変わりゆく茫猿鉄道ジオラマですが、興味のない方には飽きれると云うよりもそれでどうしたでしょうが、茫猿には一つ一つの変化がとても大切なので悪しからずご寛恕下さい。

 2020.01.15  ジオラマの景観にそれなりの設えとか情景の変化がほしくて、何よりもHOゲージSLの直線路の走りを見たくて、現在立地で可能な最大範囲に基盤を拡大する。拡大後の基盤はL260cm╳W150cm=3.9㎡である。 

2020.01.18 Nゲージ内回り線の側線を仮敷設する。
側線の載る基盤を更に拡大して、
螺旋状に敷設するループ線路が交差できるようにする。
 2020.01.21 トンネル用の山部分基盤設置、建物などの仮設。
内回り線の側線は第二基盤山寺の奥に位置する行き止り駅である。
まだループ線化していない。
 2020.01.25 第一次のトンネルと山の制作、Nゲージ内回り線はループ線化する。
 2020.02.13 第二次の山とトンネル、増設して一次の倍面積のトンネル基盤へ。
2020.02.13  角度を変えて撮影する。中央の山は追加した山、ポータルは自作。

2020.02.16 一度制作したトンネル山地がモノ足らず、トンネルが通過する山地の全面改装を始める。先ずは旧山地を破却し、新しいトンネル山地基盤を制作する。トンネル基盤は145cm╳35〜65cm≒0.8㎡、他にループ線路と山寺などが配置される第二基盤が150cm╳55cm≒0.8㎡であり、合計全基盤面積は約5.5㎡である。

2020.02.17  スタイロフォームで基盤の上にザクっと山容を制作、既成のトンネルポータルを設置する。
2020.02.18  山岳に崖や岩肌を設置、全体にターフを制作する。
崖は型枠に石膏を流し込んで作製する。まだ未塗装である。

2020.02.19 崖の塗装、渓流と川の基礎を制作。写真前葉、次葉を順次展開(写真をクリック展開し、写真画面左下のスライドショー再生をクリック)すると今回の山岳部分の全面改装における細部製作の過程が読みとれる。渓流の右側奥の山地はスタイロフォーム基盤の段差が残っている。白く見える部分は糊が乾いていないからで、乾けば透明になる。

2020.02.21 トンネルポータルの景観補正、渓流と川及び沢の周囲の崖地、下流の牛や馬の放牧地などを制作する。また、尾根の段差を粘土で補正する。渓流の流水は川底が乾くまで待つのである。乾ききるまでは数日を要すると思われる。
          

2020.02.23   渓流基底が乾いたので、渓流の流水を「リアルステイックウオーター」を流し込んで制作する。次いでトンネルの上の山地を迂回する線路を敷設する。完全に乾燥するまでまだ一昼夜は要するだろうが、この情景だけでも立派なジオラマだと独り自製自賛する茫猿なのである。 渓谷を越え崖岩の遠吠岳山麓を迂回して、鄙の駅に着く、駅の隣には放牧される牛や馬が草を食んでいる。このNゲージ線路も電源は配線してあり、ローカル線用のデイーゼルカーが走る予定である。

          
(左)アングルを低くして鄙の駅舎と近くで長閑に遊ぶ牛や馬を写し取る。(中)水しぶきをあげる芒猿谷を渡すデッキガーダー橋、(右)遠吠岳の崖岩をモノクロで撮ってみた。小さな岩山の模型であるけれど近寄ってモノクロで映し出せば、何処かノスタルジーを醸し出す。   

2020.02.24 ジオラマに遠吠岳トンネルを配置した全容がこれである。
孫たちと楽しく遊ぶためには、滑らかな走りが最優先である。
だから、これ以上複雑な線路敷設はしないし、線路基盤の塗装や沿線情景整備も敢えてしない。

 これからは情景細部の作り込みや手直しを続けてゆく予定である。客車と建物に灯りをともし、夜汽車の情景を映し出すことも考えている。滑らかな列車走行には普段の線路管理(路面の清掃)や、交差ポイントの動作管理が欠かせない。併せて動力車両の管理、特に円滑な集電維持が重要である。

 既に改良点が生じている。遠吠岳トンネル基盤とループ線高架線路が近過ぎて、何かと不都合なのである。改善には問題が多いが、先ず改善したい箇所である。
         
 改善箇所をあれやこれやと考えていたら、ちょいとした工夫で路面電車が走らせられることに気が付いた。鄙里にはローカル線やループ線と田舎駅が有るのに、市街地には何も無いのが最初から物足りなかったが、その不満も解消できそうである。竣工だと云うのに、休む間も無く早々に街並み改造なのである。

 1980年代、茫猿30歳代後半に子供の頃からの夢を叶えようと始めた鉄道模型ジオラマ造りである。もう残していないけれど、小学校の頃から長く机の引き出しの奥に転がっていた交流モーター模型を思い出す。それから40有余年、作っては壊し、暫しの中断を挟んでまた造りまた破却しを繰り返してきた。それらの集大成ともいえる第八期茫猿鉄道である。《茫猿鉄道の歴史 投稿日: 2007年3月29日

 手前の線路二つは複線HOゲージ線路、その内側はNゲージ外回り線、高架線路と高架下の線路はNゲージ内回りループ線路で一周してつながる。

規模では第七期L360cm、W150cmが最大である。過去にはロープウエイを走れせようとしたり(第二期)、構築場所を四畳半から二方に廊下のついた六畳に移したのは第三期である。転車台や機関庫を設置した上に、駅前広場を作り路面電車を試みたこともあった(第四期)。

ダブルクロスポイントやリバース線路に自動踏切、他にもヤードや高架線路を充実したり、カメラ車両を走らせて動画を撮影したこともあった(第五期)。いずれも今回は採用していない。HOゲージ敷設したものの、転落事故を起こしたのは第六期のことである。最大規模の第七期にはHOゲージとNゲージが並走した。

それでも、HゲージとNゲージを含め全体の統一感、細部の作り込みや自ずと出来上がった”汚し”(保存していた古い建物などを再利用して生じた時間経過の写し出し)などなど、今回のジオラマが一番出来が良い茫猿鉄道だと自製自賛するのである。何よりも、これが”多分”最後の茫猿鉄道ジオラマになるだろうから、末期は遠吠岳を胸に抱いて棺桶に入るとするか。