彌天芙敬に倣う(7月の経過-1)

前号記事に続き、茫猿の入院及び手術の顛末、 7月 その1である。

 2020.07.01  (曇り 時々雨)
胃カメラで食道を検査しようと云うのに、意外に平静である。『癌』の確率は高そうであるし、6月に入って痛みが増している状況からして、楽観は許されそうにも無いけれど、事態を冷静に眺めようとしている自分がいる。

 博一や弘をはじめ先に逝きし多くの友のことを、彼らの末期の様子を思い出す。彼らも従容と末期を迎えていたが、父と母、なかでも母の三月始めから亡くなった五月始めまでを思い出す。見事だった、とても見事だったと思い出す。常々、末期の迎え方として倣いたいと考えていたが、いざ迎えてみれば倣うのも難しい。

 雨上がりの雑木林や畑を見廻る。樹木も花木も皆愛おしい。大阪から帰り、鑑定士試験に合格し岐阜の事務所の経営が少し安定した頃と云えば35の頃か、もう40年以上も前のことである。それ以来手塩にかけてきた我が鄙の雑木林である。父母亡き後でも10年、手塩にかけてきた畑と庭と林である。愛おしくないわけがない。あの木もこの木も我が手が掛かっている。

2020.07.01  13:44  (曇り時々雨)
 市民病院はコロナ騒動のせいか、然程の混雑ではない。今日の内視鏡検査も待ち時間が少なく、11時前には終えられた。でも検査そのものはNw医院での鼻経由とは比較にならぬ程に辛い作業だった。

 検査技師の曰く、「うまく写っていなければ再検査をお願いするかも」、もう一つ、「結構大きい腫瘍ですよ。」 詳しい答えは07/10のことになる。

 病院内に少なくないのが、老妻に付き添う老夫、またはその逆である。 なんとなく悲惨な感じがするのが、私にほど近い年齢の息子が結構よたよたと、九十を超えるヨボヨボの老父に付き添う姿である。哀れというも惨めな感じがする。もしも老妻に付き添うことがあれば(付き添うことできれば)、車椅子に乗せて付き添おうと思う。こちらも車椅子が杖代わりの高齢老々介護になる。

2018.10.06 於岐阜県士協会40周年・自映像

検査が大変だったから、ねぎらいにとユニクロに立ち寄り 3,000円のリネン長袖シャツを三枚購入する。数少ない外出も爽やかになる。考えてみれば、数少ない外出も病院にて検査・診療が殆どである。

2020.07.02 (晴れ)
 頭に鈍い痛みを感じるが、無理をしないように草刈りをする。動力鎌の刃を23cm:60枚刃に替えたら切れ味鋭くとても楽である。次は26cm:60枚刃を買い求めよう。僅かの出費増でとても楽である。切れ味も良いから刈取り跡も美しい。

2020.07.03 (曇り)
 朝起きぬけに庭と雑木林と畑を見回っていれば、腰の曲がった母がヒョコタンヒョコタンと歩いてくるような気がする。顔を合わせれば微笑みを向けてオハヨーと言おう。 母には尋ねたいことが幾つもあるが、「アナタの人生は満足でしたか」、「シアワセでしたか」、「私は至らないことばかりで、申し訳ないことでした」etc.

2020.07.07  (雨の七夕)
 九州各地は各地は線状降雨帯の影響で豪雨に見舞われている。昨日は人吉盆地と球磨川が氾濫した。今日は日田盆地が土砂流失と洪水に見舞われている。短時間に大量に降る雨が行き場を失って暴れている。 今朝5:50頃、久美子叔母が死亡する。享年93歳、安らかに。

 2020.07.09  (曇り時々雨)
  各地では線状降水帯による異常降雨で、水害や土砂崩れが多発しているが、盆地でも河川合流点でもない輪之内は平穏である。久美子叔母の葬儀も無事に終えた。

2020.07.10  (雨)
 市民病院の消化器外来で検査の結果を聞く。 診断は『食道ガン』、リンパ節への転移が一箇所疑われるが、腫瘍の範囲や深さは更に検査をして確認する必要がある。治療は腫瘍の切除が有効と考えられる。(告知は斯くの如し)

※示された今後の検査日程
2020.07.15  11:30 悪性腫瘍 PET+CT 単純 画像検査
2020.07.16  11:30 上部消化管透視検査
2020.07.20  08:15  下部消化管検査・大腸ポリープ切除術
2020.07.22  08:30  検査結果告知、術法決定

 食道ガンは間違いないが、腫瘍の大きさや転移の様子は、今後の検査結果による。治療法は切除、抗ガン剤投与、放射線照射を選択することとなるが、脳梗塞の治療薬クロピドグレル錠剤(血液凝固防止剤)の投与を中止する必要がある。つまりガン治療は脳梗塞再発症との兼ね合いということである。プラス年齢的なものを三者勘案して考えなければならない。 ガン治療の途中で脳梗塞を発症したHirokazuのことが頭に浮かぶ。結構悩ましい選択だ。

 此の記事の公開予定日は08/15・旧盆である。今年は叔母の新盆であるが、危うく自らの新盆を意識させられた。彼岸と此岸、死ねば無だと理屈では分かっているが、彼岸で迎えてくれるであろう彌天、芙敬や、ヒロカズやヒロムのことを考える。

(7月の経過-2)に続く

《ご寛恕下さい》本記事は公開予約投稿です。2020/08/15以前に記事を作成し、08/20以降にサーバに公開予約をして開示するものです。したがいまして、本記事をご覧になってお問い合わせなどのメールをお寄せ頂きましても、筆者茫猿はメールを読むことも、当然お返事を書き込むことも叶いません。入院に際して病室に「MacBook Air」は持ち込んでおりません。またWi-Fi環境も有りません。悪しからず、御了承下さい。

《表題について》「彌天芙敬に倣う」とは我が父母の法名(一般には戒名とも云う)彌天(父)、芙敬(母)に倣う(ナラウ)である。父母の旅支度及び旅立ちを手本としてまねると云う意味である。

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