彌天芙敬に倣う(7月の経過-6)

 術前二ヶ月弱の記録も、これが最後になる予定であった。
しかし、まだ暫くは淡然とも泰然ともたり得ずに、逡巡を重ねる茫猿をさらけ出すことになりそうである。俎上の茫猿はまだ暫く悶え続ける。

2020.07.29(曇り)
 07.22内科でCancer告知を受けた頃の予定では、8月第一週には外科に引き継がれ除去手術を受けている心積りだった。しかし、現実は内科から外科へ引き継がれたものの、まだ検査が続き、ガイダンスがあり、施術前に必要な一部の服薬中止も始まるのは数日先である。

 今日告げられた施術の予定日は08/19である。08/18に入院して手術準備が始まり、08/19は朝から全身麻酔そして施術開始となり、10時間後の夕刻には集中治療室で目覚めるはずという予定である。

 午前中に施術予定日を聞き、執刀医のガイダンスを伺って、今日の予定は終わる心算りでいた。ところが、執刀医は多忙で面会時間が取れず会えなくなり、代理の医師のガイダンスを受ける。代理の医師は施術の概要と施術に伴う幾つかのリスクを説明し、数枚の同意書に署名を求める。説明はあまり耳に停まらなかったが署名には素直に応じた。

 その後は口腔外科の検診、入退院支援センター指導、採血、採尿、心電図、周術期管理センター、また入退院支援センターへと院内をあちらへ、こちらへと回る。待ち時間も多かったが、中身も多様で聞くのに疲れた。今後は08/03に周術期管理センター術前診療、08/05より一部の服薬停止、08/12に周術期管理センター再度術前診療、08/13 改めて、執刀医師による診察と面談へと続くのである。

午後の二時を回っても昼食抜きの空きっ腹を抱えて、次の検査待ちをしていた。随分と待たされるから、07/27付け資料の裏に次のようなメモを書きつけた。

《待ち時間とパスポートシステム》
 市民病院のパスポートシステムは良く出来ていると思う。朝、病院にやって来て、持参する診察カードを発行システムに挿入すると、本日の診療科の予約状況が呼出番号を付して印字されて「パスポート」として出て来る。そのパスポートを持って予約してある診療科の待合席に着いてしばらくすると、モニターに呼び出し番号が表示されて診察が始まる。「市民病院パスポートシステム」である。

 良く出来たシステムだと思われるが、待ち時間が結構長い。1時間近い時だってある。人間相手の診療・治療行為だから、工場生産のように流れてはゆかないだろう、ファーストフード店の注文待ちのような具合にゆく筈もない。それは当然のこととして理解している。でも待ち時間が長い。2時間待ちの3分診療と迄は言わないが、1時間待ちの5分診療には近い。待合室の患者の数も多い。

 患者の滞留を避ける為にシステムが採用されているのに、どうしてこんなに待ち時間が長いのだろうかと考えてみた。患者側に原因があるのか。(a)予約時間に遅れる患者が多いようには見えないが、呼び出されても現れない患者が結構の頻度でいるようだ。(b)資料を読めば判るようなことを、長々と或いは何度も説明を求める患者も偶にいる。(c)受付窓口で無理筋を通そうとする爺様や理解力不足の婆様が居ない訳でもないが、頻繁な出来事には見えない。総じて、患者側に渋滞の原因がある様には思えない。

 ではシステムの不具合か。通院患者には前日までに翌日の診療予約が通知されてあり、その予約来院にしたがって医療業務が流れてゆくシステムである。待合席も外待合と中待合に別れてあり、システムの予想したとおりに流れれば滞留も長い待ち時間も起きそうにない。システムトラブルを見たことも無かった。

 どうやら、長い待ち時間の原因は患者を捌き切れない医療者側に多く存在するようだ。2018年度の診療報酬改定で地域の診療所等からの紹介状を持たない外来初診料は5,000円と高く徴収されるから、やたら病院を訪れる患者は少なくなっているはずである。それでも病院の待ち時間の長さは(以前よりは短くなったのかもしれないが)改善されていない。

 患者側にもシステムにも患者が待合に滞留する原因がないとすれば、滞留の原因は医療者側に存在するのであろう。集まってくる患者数を上回るだけの医療側の体制整備が進んでいないのであろう。医療体制に余裕が無いのだとすれば、それは医療業務に合理性を求め無駄を省き、公立病院会計に利益計上を求め、病院の統廃合を画策する為政者や地方議会に原因するのであろう。

 公立病院の存在意義は地域の医療充実が第一義であろうが、災害時の防災能力確保、或いは今回の様なヴィールス感染症蔓延時の対応能力なども求められ、相応の余力を備えているべきであろう。この余力の存在が医療従事者が研修を積む余裕を生み、従事者を緊張感から解放する余裕も生まれようと云うものである。

 公的施設・事業の存在意義、公的分野の存在意義というものが、経済合理性だけで判断され、不要不急性の有無を重視して判断されることの弊害がここにも現れているのであろう。特に今、新型コロナ感染症の蔓延で疲弊が伝えられる医療・福祉分野にこそ余力の存在が求められるもである。

 それにしても、待つのには随分と慣れた、慣らされたと思っていたが、そうでも無かった。盆前にはと予想していた施術日が盆が過ぎた後だったこと、多分息子より若いだろう医師から説明された施術内容が予想していたよりも大ごとだったことなどで、気分が逆撫でされていたからだろう。入退院支援センターの指導看護師に”愚痴零し”をしてしまった。

愚痴零しについては、(8月の経過-1)に続く

《ご寛恕下さい》本記事は公開予約投稿です。2020/08/15以前に記事を作成し、08/20以降にサーバに公開予約をして開示するものです。したがいまして、本記事をご覧になってお問い合わせなどのメールをお寄せ頂きましても、筆者茫猿はメールを読むことも、当然お返事を書き込むことも叶いません。入院に際して病室に「MacBook Air」は持ち込んでおりません。またWi-Fi環境も有りません。悪しからず、御了承下さい。

《表題について》「彌天芙敬に倣う」とは我が父母の法名(一般には戒名とも云う)彌天(父)、芙敬(母)に倣う(ナラウ)である。父母の旅支度及び旅立ちを手本としてまねると云う意味である。

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