彌天芙敬に倣う(8月の経過-3)

 ”彌天芙敬に倣う”シリーズは漸くにして、これを終章とする。08/16にEsophageal Cancer 除去手術の為に入院して以来、約20日が経過している。術後が順調に経過すれば、無事に快癒して本日退院する予定である。この記事の公開予定日も今日09/05の予定である。

 あらためて考えてみれば、癌で入院中も十本余の公開予約記事でブログサイトの更新を続け、入院中に3200号を更新するなど世間を騒がせる(”た”)のも茫猿らしいなと独り苦笑すれども、今や騒ぐ世間など何処にも残されていないぞと窘める茫猿も居るのである。

《2020/08/13》 07/29に予定されながら、多忙のために延期となった執刀医の説明を受ける。「病名:食道癌」、「手術・処置名:胸腔鏡下食道亜全摘手術」、07/29付けの手術同意書に記載される病名及び処置名である。

 同意書には「この治療を受けなかった場合の予後・影響」、「手術の内容、対象となる身体の部位」について説明を受けたとあるが、面談書に記載されている『領域郭清、胃管再建』医師のメモについて説明内容の記憶が無い。そこで改めてT医師の説明を受けるのである。

 受けた説明の概要は以下である。臨床診断としての癌ステージはⅠ-Aであるが、患部切除後の生理診断結果によりⅡあるいはⅢと云う判断もあり得る。手術後の5年生存率は80〜90%である。 そこで、一番関心がある「その5年間のQOL(Quality of Life)如何」について伺ったが、答えは頂けなかった。外科手術或いは放射線&化学療法のどちらを選択するかは患者の意志であるし、その選択後に得られる結果も患者の選択の当然の帰結であろう、と云うことなのであろうと独り納得する。

棉の花、朝咲いて夕にはしぼむ

《2020/08/13 夕刻》
 両親、弟、娘の墓参り。
仏壇の前に正座し、脳梗塞発症以来の日課にしている正信偈を読誦する。

《2020/08/14 晴れ 最高気温 36.8度》
 入院に際して持参する品々を”入院案内”にしたがって用意する。手術後腹帯とテープ型オムツは病院の売店で08/13診察の後で購入しておいた。小旅行並み、いや旅行でも用意しない程の量の荷物になった。暫くは食せないからと、家人が”川貞”でテイクアウトしてきたウナギで夕食とする。

酷暑を避けて、打ち水跡に揚羽蝶が集まった。

 今に至っても、手術治療に100%納得していない。T医師が説明する「癌はI-A期です。切除手術が標準治療です。」と云う言葉に気圧されているだけでもある。標準治療とは、科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療だと云う。国立がん研究センター・ガン情報サービス

 7月末の予定では18日入院、19日手術と云う日程だったのだが、面談の途中でT医師が「こちらの都合で日程を二日早めたいが、宜しいか?」と聞かれ、付き添う山ノ神殿が即座に「結構です」と答えたものだから、こちらも「構いません、宜しくお願いします。」と言わされたような始末である。迷いと云うか逡巡する我が心持ちの背中を押されたようなものである。

《2020/08/15 15:00 最高気温 36度》
 13年ぶりに無髭の顔を晒してみる。術前に剃り落とすように求められているので、剃り落とすのである。胸の産毛も看護師に剃られてしまうだろうが、臍から下については聞いていない。多分無関係だから残すのかな。髭を剃り落とした顔と13年前の無髭の顔である。時の移ろいは無情である。

《2020/08/16 日曜 07:00》
 雲一つない快晴の朝である。雑木林ではツクツク法師が鳴いている。木陰は涼風が抜けてゆくが、林にさす陽射しは朝から魔性を思わせる。今日の最高気温は岐阜市で39度予想とラジオが告げている。11時までに入院して病室に入り、手術の準備を始める予定、休日なのに特例入院である。市民病院スタッフにCOVID-19感染者が発生したと云う報道があった。手術が二日前倒しになったのは、そのせいかもしれない。

《2020/08/17 08:00》
 胸腔鏡下食道亜全摘・領域郭清、胃管再建手術を受ける予定である。
夕刻には終了してICUに戻る予定ではある。
多分、私の人生で一番長い一日が始まる。
『I shall return』

《ご寛恕下さい》本記事は公開予約投稿です。2020/08/15以前に記事を作成し、08/20以降にサーバに公開予約をして開示するものです。したがいまして、本記事をご覧になってお問い合わせなどのメールをお寄せ頂きましても、筆者茫猿はメールを読むことも、当然お返事を書き込むことも叶いません。入院に際して病室に「MacBook Air」は持ち込んでおりません。またWi-Fi環境も有りません。悪しからず、御了承下さい。

《表題について》「彌天芙敬に倣う」とは我が父母の法名(一般には戒名とも云う)彌天(父)、芙敬(母)に倣う(ナラウ)である。父母の旅支度及び旅立ちを手本としてまねると云う意味である。

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