先号記事の07/03書込みで亡き母のことを書いた。畑仕事から帰ってくる母に、「私は至らないことばかりでしたか?」と尋ねると記した。 今日早朝の「NHKラジオ深夜便:明日への言葉」で天童荒太氏(作家)が語る「フクシマの海」鎮魂と再生の物語が流れていた。
大津波で多くの人が亡くなった今回の災害だけでなく、交通事故でも、様々な事件でも人は亡くなる、それを通して自分が本当に表現したい一つが「サバイバーズギルト(Survivor’s guilt 生き残った人の罪の意識 」である。非常に大切な問題だと思う。 自分はなぜ生き残ったのか、愛する人はなぜ失われてしまったのか、苦しまれている方が多くいる。
朝出かける時に一声かけていれば、交通事故に遭わなかったかもしれないとか、癌で亡くなった方に何故もっと優しい言葉をかけてあげられなかったのかとか、ずーっと苦しまれる方がいて、人間にとって普遍的な誰にでもある問題ですが、語られて来なかった問題だと思います。 生きのこったことを喜べない、だれにでも起きる問題だと思います。
実はこれは愛情が豊からだからこそ、抱える問題なのではないか、人間の美質であって、そういう事を考えることが悪いことではないのではないか。 《引用終》
『ずっと感じて来た父母への後ろめたさが、少しは救われた思いがした。』
2020.07.11 (雨)
今朝はいつもの見慣れた庭の景色が常と違って見える。先ほど遺言を少し書き換えた。後に残ることになりそうな老妻のことが気がかりである。二人の息子が仲良く彼女の余生に寄り添ってくれればと願う。
2020.07.12 03:47 (晴れる予定)
梅雨末期の晴れ間の予定である。しばらく前から気になっている防除を行おうと考えている。動力噴霧器をぬかるんだ畑で背負うのは、少し辛いかなと考えるが、でも今日できること、今日やるべきことをしようと考えている。 明日のこと、来月のこと、来年のことなど 考えても仕方ない。考える必要もない。今を考えよう。思い煩うな、ひたすら今を生きろ。
『 病むときは病むがよく 死ぬときは死ぬるがよい 』
『願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃』
母のように 鄙桜の下もいいが 紅葉の中もいい
『口から食べられなくなったら ご寿命です』
母の主治医から申し渡された言葉である。食道に病を得た私も、そのうちに口から食べられなくなるのであり、それが寿命尽きる時である。 痩せ衰えて永らえるよりも心筋梗塞の死が望ましい。 それもこれも 明日を思い煩うことなのか 病むときは病むがよく 死ぬときは死ぬるがよい
2020.07.14 火曜日(雨)
狂歌を詠んでみる 『 願わくは 花のしたにて 春死なん
妻を送りて ガンこそ良けれ 』
思うように、願うようになど、逝くものかとは思うが、まだ分かりはしない。寛解もあるだろうし、三年生きることも、五年生きることだって有り得る。 癌のつもりが脳梗塞で逝ったり、心筋梗塞で逝くことだって無いわけでもなかろう。ただの誤嚥性肺炎もCOVID-19肺炎だって可能性から排除できない。 何れにしても、まだまだこれからのこと。
2020.07.15
今日は病院でPET—CT検査である。検査帰りに、田中煎餅で「まつほ」を買う予定。
「来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」 藤原定家 に由来する“まつほ” 良いねー
他にユニクロの夏用下着、A3スクラップブック(益雄叔父貴が残しておいてくれた、仏壇から出て来たであろう釈了玄の名前が載る過去帳と為三郎さんなど御先祖の高野山や善光寺のお詣り記録を保存する為のスクラップブック。)、そして田中煎餅でで“まつほ”である。
『 願わくは 花のしたにて 春死なん
妻を送りて ガンこそ良けれ 』 来春の鄙桜まで十ヶ月
『 病に会えば病むがよく 死ぬときは死ぬるがよい 』
『 災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。
死ぬる時節には、死ぬがよく候。
是はこれ、災難をのがるる妙法にて候 』《良寛》
2020.07.16 (曇り 時々晴れ)
今日の検査はバリウム透視検査だった。 結構辛い検査だった。途中でバリウムの誤嚥があり、自覚症状は無かったが、内科医の問診を受けることとなり、透視検査は11:30開始 12:15終了だったが、問診に随分と待たされ、問診を受けられたのは14:00だった。
2時間待ちの3分診療を地で行く話だった。次は来週20日の大腸内視鏡検査を残すだけで有る。 検査結果の告知は22日である。
2020.07.18 (雨)
今日からは07/20の大腸内視鏡検査の準備に入る。食事制限、服薬制限、下剤服用の二日間である。今日の昼以降はほぼ絶食状態である。梅雨末期の二日間、親父の本を読んで過ごすか。検査が終わったら、中村の墓参りに行きたい。
こうして検査漬け告知前の日々を記録しておくのも、後々になって、あの頃は何を考えていたのかと振り返る縁(ヨスガ)とする為である。
2020.07.20 (晴れ 猛暑来たる)
今日は大腸の内視鏡カメラ検査の日である。一連の検査は今日で終了する予定である。 福束橋が混雑するので、7:15には家を出る。それでも、市民病院の受付を終えたら8:15だった。
それからはとても飲みにくく、あげそうになる下剤をチビチビと飲んではトイレへ向かうという三時間だった。四度も五度もトイレに向かい腸内を綺麗にしたつもりだったが、カメラを入れると直腸にフンの塊があるという。検査技師のお手を煩わせて固形糞を取り除いて頂く。仕事とは言いながらジジイの尻から糞を取り除くなど、申し訳ない不始末だった。
《この残糞については、後程の検査結果告知の際に残存した経緯(イキサツ)を教えて貰った。直腸内に二箇所ほど窪みがあり(窪みが有るのは通例ではないが、異例でもない)、この窪みに溜まった糞がカメラを挿入した際に出てきたものだと云う。小生に腸の”洗い清め”が不十分だった責任は無いと云うことである。尾篭な話だが、大腸カメラの話など、どのみち尾篭なこと。》
カメラの挿入は違和感も無かったが、午前中の下剤を飲んで腸内をキレイにするのがオオゴトダッタ。次は07/22の検査結果告知である。大凡は分かっているが、それでも吉と出るか凶と出るか。
2020.07.22 11:56 (晴れ)
市民病院の診断結果は食道ガン、手術で全摘すればほぼ寛解するだろうという告知だった。直ちに外科との打ち合わせを勧められたが、連休明け(07/23〜07/26は4連休)まで延期を願った。結果を持ち帰り、Nw医師の診断を仰いだところ、「86歳であれば手術を避ける選択も有りでしょうが、76歳では手術して全摘が一番良い選択でしょうね」とのことであった。連休明けに適当な時期を選んで市民病院へ出向き手術の日程等を決めることになろう。
成人してから身体にメスを入れるのは2001/05の網膜剥離以来である。あの時は緊急手術だったから、考える余裕も無かったし相談する人も周りに居なかった。今回は06/23のNw医院検診以来、一ヶ月の余裕がある。本日の告知からでも連休四日間の余裕があるし、Nw医師のセカンドオピニオンや、老妻のサードオピニオンがある。
切るに如かずと解ってはいるが、この四日間は迷いと恐れに漂ってみよう。治療法に切除を選択すれば、脳梗塞の治療薬クロピドグレル錠剤(血液凝固防止剤)の投与を中止する必要がある。つまりガン治療は脳梗塞再発症との兼ね合いということでもある。それに万が一に備えて、日付指定の予定記事を用意しておく必要もある。八月の第1週が手術の予定日として、第二週の公開記事、第三週の公開記事、そして第四週の記事も用意できれば言うこと無しである。
万が一帰還できなかった場合、帰還しても従前とは程遠い状態に陥った場合に備えて、ことの顛末を報せる記事も用意しておこう。この記事は公開せずに済めば言うことない。
美味しく食べられるうちにと、この季節一番の鱧寿司を通販で注文しようと試みたが、味に定評のあると云うか馴染みのある「祇園いずう」には通販は無し、お店での引き取りか関西のデパート販売だけと云うことで断念、無念。
《7月の経過-3》へ続く
《ご寛恕下さい》本記事は公開予約投稿です。2020/08/15以前に記事を作成し、08/20以降にサーバに公開予約をして開示するものです。したがいまして、本記事をご覧になってお問い合わせなどのメールをお寄せ頂きましても、筆者茫猿はメールを読むことも、当然お返事を書き込むことも叶いません。入院に際して病室に「MacBook Air」は持ち込んでおりません。またWi-Fi環境も有りません。悪しからず、御了承下さい。
《表題について》「彌天芙敬に倣う」とは我が父母の法名(一般には戒名とも云う)彌天(父)、芙敬(母)に倣う(ナラウ)である。父母の旅支度及び旅立ちを手本としてまねると云う意味である。
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