書評・公示価格の破綻

【茫猿遠吠・・書評・公示価格の破綻・・04.03.07】
 他にも様々な理由はあるのだが、表題の書籍に接して、
どのような書評を書くか迷っているあいだに記事掲載間隔が空きました。
様々な理由とは、珍しく本業が多忙であったこと、風邪を引いたことの他、
岐阜県士協会25周年事業の準備に忙殺されたことなどである。
士協会周年事業については、ようやく近日中に、記念シンポジウムや
記念講演のご案内ができる運びとなりました。
 さて、「公示価格の破綻」という書籍が刊行されている。
いささか時機を失したきらいはあるけれども、ふれてみる。
2004.01.28初版、著者・不動産鑑定士 税理士 森田義男氏
水曜社刊 代価 2,500円
 不動産鑑定に携わる者にとって、書名は強烈かつ挑戦的だが、内部告発とか
暴露本という類のものではない。著者の推論もまじえてはいるが、公表データ
に基づく分析が中心であり、その内容はいたって真面目である。
 しかし、公示・調査に携わる不動産鑑定士を十把一からげ的に断罪している
点は頷けない。勿論、著者は不動産鑑定士の全てがそうだと断罪してはいないが。
 いささかセンセーショナルであるし、すべからく不動産鑑定士が無気力で
事なかれ主義だと云われれば、著者の挑発であろうと判っていても、
反論したくなる。
 いずれにしても、不動産鑑定士に対する警告書であり啓発書であると、
受けとめて真剣に考えるべき多くの事柄を指摘している。
 でないと、著者が指摘するように不動産鑑定士は無気力・事勿れ主義に、
どっぷり浸かっていると、自ら認めてしまうことになるだろう。
 第1章 鑑定評価制度の概要
 どうってことはない記述であるが、制度発足後40年余を経ると、発足当時
の状況や、その後の経緯に疎い鑑定士も増えているであろうから、制度の歴史
や背景、或いは当時の社会情勢などを改めて振り返って見るのも有益なことで
あろう。 『温故知新と云うではないか』
 第2章 不幸な誕生
 鑑定評価制度誕生の経緯、その後の変遷を考えれば、茫猿も不動産鑑定制度
は不幸な生い立ちを背負っていると考えますし、そのことは99/3/29「世代間
格差と問題意識」と題する記事他にふれているとおりです。
 制度発足当時から現在に至るまで、各種の官製の業務が用意されていたと云
うことは大層恵まれていたことであるが、その反面、その恵まれた環境に埋没
しかねないと云う副作用も招いたことであろう。
 これは、今に至るも「義務鑑定」という用語を乱発する鑑定士諸公が多いこ
とに端的に表れている。
 『埋没に安住し、三年寝太郎・棚ぼた鑑定士を増やした功績は大きい。』
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=985098319
 第3章 お寒い実力
 不動産鑑定試験はいわゆる文系学科に偏重しすぎており、建築、土木、農学、
林学に疎い面は否定できないし、その後の研修もこれらについて重点がおかれ
ていない。特に最近は、収益還元法関連や新規先端業務中心の研修機会は多い
が、農林建築土木に関わる研修機会は少ないと考える。
 著者に云わせれば、自己責任と自己努力の不足がもたらす結果であろうから、
自業自得かもしれないが。
 宅建業界との情報交換の少なさについては、茫猿も認めざるを得ない。
だからこそ、宅建業界や不動産業界・建築業界との交流は不可欠であり、そう
いった多面的な交流・情報交換の機会を自ら求めてゆくべきであろうと考える。
 『自ら助すく者こそが、救われる。』
 第4章 行政への隷属
 この章の記述は直ちに肯定できない。グレシャムの法則を知らないわけでは
ないが、御用鑑定士の存在は依頼者にとっても双刃の剣であり、一時は重宝さ
れても結局の処は自分の首を絞めるということに依頼者(発注者)自らが自ずと
理解されており、現場ではとっくに否定されていることであろう。
地価公示や地価調査について、行政の依頼を受けて業務を遂行する以上、
何処までも行政目的に添わないものであり得るか否かと、問われれば、
腕を組んで唸るしかないが。
 『矜持と痩せ我慢、パン無くして何ぞ鑑定士たり得るや。』
 第5章 税務評価と裁判
 茫猿はこの件に関しては門外漢であり、論評できない。
 第6章、第7章 公示価格批判
 公示価格の変動率が継続地点価格の推移率であり、選定替え及び新規地点を
加えた価格推移率との間に差が生じているのは周知の事実である。
この点に関して云えば、公示無謬主義が影響しているように思える。
この件に関しても、既に記事にしたことがあるが、木を見て森を見ない評価が
まかり通ってはならないと考える。
 同時に相続税路線価や固評路線価のネットを支えるのが固評標宅であり地価
公示や地価調査であるが、寸足らずで支えきれなかったり、冗長で路線価ネッ
トを突き破ったりすれば、いかなる事態を招くかと云うことは真剣に考えなけ
ればならないし、現に考えていると信じたい。
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_boen/newspaper.cgi?action=view&code=1012141418
 『平成16年の今に至るも、
      バブルに遭遇すれど、無力であった反省も総括もない我々。』
 なお、この章の後半部分で著者が云うところの「高示価格」なるものの実態
が理解できない。実態(実際の地価水準)を乖離して公示価格が高止まっている
というのであろうが、地価高騰前期の反省を踏まえて相当且つ妥当な下落水準
を公示していると考える。少なくとも茫猿の周りでは著者が指摘するような事
象は見あたらない。
 著者の主張するところの、S58~H12期間における公示価格の対前期比変動率
の累積と公示価格平均値の対前年比率累積の開差は、S60年代の選定替えに伴
う開差を内在させる以上、存在するのが当然であり、このことを指して公示価
格の高止まりというのは解せない。
 第8章 生き残りへ
 著者のお説の通りという他はない。
地価下落時代に鑑定評価が社会に受け入れられる為に何を為せばよいのか、
何を為すべきなのか、この命題に不動産鑑定士一人一人が真剣に向かい合う以
外に前途はないのであろう。

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