山法師

数日家を空けているうちに、開花が遅れていた山法師が今年も多くの花を咲かせている。 天候は相変わらず不順で、つい今し方も通り雨が降っていたのに、今は雲間から薄日が射している。  畑を見れば、胡瓜や莢豌豆はようやく花を付けているが茄子の生育は遅れている。 天候と同じで我が気分は相変わらずさえない、ブルーに沈んでいる。

「山法師は花を上向きに付けますから、喬木を普通に撮れば花は横か下からしか撮れません。この山法師の写真は脚立に登って、花を見下ろす角度から撮ったものです。」

この春はいつになく同期の集まりが多かった。 四月中旬には大学同期の集まりが京都で、下旬には高校同期の集まりが我が茅屋にて、そして今週は鑑定士実務修習同期の集まりが大阪であった。 十七歳前後に、二十歳前後に、そして25から30にかけての頃に、同じ学び舎に集うた者有志の集いである。 互いに歳を重ねるごとに忙しさに紛らわせて相まみえることなく過ぎた、久闊を埋めたいと考えての集まりではあった。 でも、いずれの集いも茫猿と同じく古稀を間近に、なかには過ぎた者達の集いであることから、既に病を得た者も含まれているのである。

互いの息災を言祝ぎ、懐かしさに話が弾み酒を過ごしてはいるものの、病をおして遠路を顧みず集う者も少なくなく、いつかまた同じ仲間が集まる機会を得たいと願う心にかわりはないが、果たして叶う日が訪れるだろうかとも思うのである。 いまは医者と付き合っていなくとも、いつ何時坊主のお世話になるやも知れない、そんな年頃に至った者の集いであればこそ、一期一会の思いが募ってくるのである。

来週には鑑熟会と名付けた集まりが我が茅屋で開かれる。 岐阜県の鑑定士のうち七十歳を超えた先輩を正会員とし、六五歳以上を準会員、未満を見習い会員とする古手鑑定士(世間では爺鑑と陰口される)の会合である。 既に鬼籍に入った先輩方を偲ぶ会合でもある。
とかく煙たく敬遠されがちな者達であるから、髀肉の嘆をかこつ者だけで集まり、「先輩をしのぶ」を名目に愚痴や昔話に花を咲かせようと云う、いわば老人倶楽部であり医者の待合室談義なのである。

既に三度のいずれも古稀倶楽部の会合を経て思わされるのは、退き際を忘れた者の愚かさである。 茫猿自身、引退隠居を公言してすでに数年が過ぎた。 にも関わらず、推されたとはいえ鑑定協会の役職に復して一年、年若のひと達が控えてくれるのをいいことに、目に余る一年ではなかったかと省みるのである。 経験に裏打ちされたと云えば聞こえがよいが、その実、年若の人たちには知り得るはずもない過去のことをこれ見よがしに、言いつのっていただけではないのかと反省もし、雀百まで踊り忘れずとも自戒するのである。

05/22開催の今任期最後の理事会を前にして、どのように過ごそうかと考え倦ねるのである。
前回理事会に提案し、議案採択された付帯決議案についても、上程議案が多い理事会であることから、時間切れ審議未了廃案という結論が、最も好ましいのではなかろうかと考えているところなのである。
Old soldiers never die,they just fade away」とはいうものの、消え方も問われるのであろう。

ところで、Webの世界では鑑定評価受託の際に暴排条例を念頭におくことが話題になっている。鑑定評価依頼先がフロント企業であるか否か注意しなければならないということである。 うかつに依頼を受託すると利益供与者や密接交際者と見なされかねないということである。 鑑定協会も暴対研修会が必要な時代になったようである。

 

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