父からのX’mas Gift

数日前のこと、亡き父宛に郵貯銀行から親展封書が届いた。封を開けてみると、父名義の預金残高を確認する書類であった。記載されてある残高額は、放っておくには勿体ない額である。父が逝ってからすでに七年、来月始めには八回目の命日を迎える時に届いた報せである。冥土の父から、X’mas Giftが届けられたような気分なのである。通帳の確認や相続の手続きを行いながら、いまは亡き人たちのことが様々に思い出されるのであった。

通帳の再発行や相続の手続きを行うには、被相続人並びに相続対象人である、いずれも今は亡き母、弟の死亡年月日の記入が求められる。だから否応無しに両親や弟の命日を改めて確認すれば、同時に彼らの生前の面影も浮かぶのである。

2007/08/01に独り寂しく死なせてしまった一歳違いの弟、2010/05/08に息子や孫に看取られながら静かに逝った母、2010/12/02  九七歳の大往生だった父、前夜に味噌汁一杯とお湯わりの酒約8勺を飲んだのが最後の食事だった。この前後のことが、今は薄いヴェールの向こうに思い出される。つい昨日のことのように思えるのに、七年余の歳月は大きい。様々なことが、記録をたどらなければ明らかには思い浮かばなくなっている。

◎2010.04.30 03:00《母の旅支度:介護日誌より抜粋》
息子たちと治療方針について電話で話しているときに、私の考え方を説明するキーワードを探していたが、なかなか見つからなかった。それを昨日ケアマネージャーと話していると、彼女が説明してくれた。 「あなたは尊厳を考えているのですね。」と言われたのである。そう尊厳である。辞書には「the dignity of man」とあった。
ひたすら生命体としての生存に重きをおくか、人としての尊厳を保った生存に重きをおくのかということである。 両者に明確な線引きは無かろう。ここから先は右の治療が生命体存続治療です、左の介護・看護が尊厳を保つ治療ですなどというものではなかろうと考える。

病気・病状によって、年齢によって、病人の希望によって、闘病の長さによって、その分岐点は右にゆき左にゆくのであろう。もちろん、看取っている家族の考え方・人生観・主義信条によっても大きく左右されるであろう。大事なことは、心の平穏であり、誤解を招く気障ともいえる表現をするならば「美しさ」とでも云えようか。 そこに佳き思い出が残る、光溢れる時間と空間を、看護する者とされる者とのあいだで共有出来るであろうか否かということではなかろうか。安らかな寝顔や寝息、笑顔の会話などといったものが溢れる病床生活であるかないかとも云えようか。

それとても生者の”エゴ”であろうか、違うと思う。 看取られる者が尊厳あるファイナル・ステージを看取る者に残して幕を降ろしたいと願うのであれば、看取る者はそれに正しく沿った治療・看護・介護を選ぶべきであろうと考える。 母は常々必要以上の、いわゆる延命治療と総称されるものは望んでいなかった。そのことは、まだ間近である末妹の死《2006/08/17》を看取った時も語っていたし、嫁いでから70年近い人生の多くを共にした隣人・知人・友人の終わりを語るときも、尊厳という言葉は使わなかったが、「みじめ」とか「むごい」という言葉で語っていたことである。

2010.12.03 2:09 雨激し 《昨夜2010.12.02 19:40 父死す。》
夕食の支度の前に部屋を覗くと薄目を開けて私を見たが、また眠る。 そのままにして、夕食の支度をする。自分の食事を済ませてから父の介護をするために部屋に行ったら、口を開け薄目を開けているが応答がない。 トゥーサンと揺すっても応答が無い。

2010.12.03 17:30 氷雨《次男と二人で仮通夜をしながら》
もう何も問いかけても答えなくなった父と、深夜の対話を繰り返す。 父の下着をベッドの上で替えた時に、初めてしっかりとした「アリガトウ」を聞いたのが最後の確かな会話だったと思い出したら、涙が止まらなくなった。 父さん有り難う、有り難う。最後の夕べに眼を離してしまったことや、半ば冗談だったとしても、母さんの遺影に早く父さんを迎えにきて下さいと語りかけたことなどを、繰り返し謝った。 畳にひたいを付けて謝った。

これらの記録を振り返りながら、改めて父母や弟の死を考えている。生きること死ぬことの意味を考えている。佳く死ぬことは佳く生きることなのだとも考えている。年明ければ数え七十五になる身であればこそ考えることなのでもある。まだ手許に確かなものとして受け取ってはいない、父からの「X’mas Gift」ではあるけれど、八回目の命日を前にして届けられた父からのとても有難い便りなのだと考えている。

今日の鄙里雑木林は紅葉の見頃を迎えている。氷雨降り木枯らし吹けば、未練なく散りゆくであろう紅葉である。霜月も今日で終わり、日変われば師走入りである。せめて、小春日和のなか、吹くともなく吹く風に誘われて散らせてやりたいと思うのは、紅き黄色き葉陰に亡き人々を偲ぶせいであろうか。

「鄙からの発信」2015/04/21記事ターミナルケア: 亡友博一をホスピスに見舞った折の記事より引用する。
「知らぬ人が聞けばブラックジョークとも心ない会話とも受け取られかねない話題で、しばらく弾んだ。今さらにカミシモも歯に着せる衣も要るものかという思いであるが、緩和ケア病床にある者と見舞に立ち寄る者との隔絶の差は何ともできない。 病状が許せば、五月の風を探しに行こうと伝えて病室を後にしたけれど、再び相見えることが約束されているわけではないと思えば、立ち去り難いのである。」

関連の記事

カテゴリー: 茫猿残日録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です