朝な夕なに

 本記事は、鄙里に侘び住まう後期高齢者でもある茫猿山人の日々の務めについての記述である。 朝五時には起床する。時には早寝のせいで、まだ深夜である三時に目覚めてNHKの”ラジオ深夜便”を聴くともなくうたた寝することもある。時にパソコンの前に座り、”鄙からの発信”原稿を入力するか、当てもなくネットを渉猟する早暁もある。

 近頃は書を読むこと稀である。五時起き日の日課は洗顔の後、朝食を作りといっても多くの日々は味噌汁のみを作り、一人新聞を読みながら食し後片付けをする。催してくればトイレにしばらく座る。

 毎朝の日課である味噌汁について言えば、具沢山の味噌汁を作る。様々な自家栽培野菜が俎板に上がる。春から初夏は菜花、大根や人参の抜き菜、絹さや、スナップエンドウ、夏大根が、夏はインゲン豆、十六ササゲ、ジャガイモ、茄子の他にトマトが彩りを添えることもある。秋から冬場は蕪、大根、馬鈴薯、薩摩芋、玉葱、人参、法蓮草が碗を賑わせる。四季を通じて葱があり、今頃はスダチを絞って風味を添える。

 味噌は八丁味噌と麦味噌の合わせが常であり、その朝の気分で合わせる割合は気ままに変化する。出汁は煮干しと昆布と干し椎茸をフードプロセッサーで粉末に作り置いておき、スプーン大さじ一杯程度を投入し、粉末は漉さずにそのまま食する。《ミネラルとカルシウムが取れるだろうと、勝手に思い込んでいる。》

 朝食に漬物は用意しない。一人暮らしの頃から漬け置きして無駄にすることが多かったのと、いつの頃からか漬物をついつい食べ過ぎて、胃を悪くすることも多くなったからである。

《明日は十月と云う頃になって、ようやく鮮やかになった曼珠沙華》

 そのようにこの数年は思い定めていたのだが、今年の秋茄子の出来が良いので浅漬けを漬け始めた。塩とミョウバンと水で漬けるのだが、一晩漬け置くとこれが旨い。胃を悪くしないように食べ過ぎには注意しているが、スダチを絞り醤油を軽く掛け回すと秋の朝の味覚である。

《畑から早採りの小ナスを採ってくる。塩と焼ミョウバンで軽く揉み込んだ丸茄子を漬け容器に入れて、ヒタヒタに水を満たす。好みによるが、鷹の爪も刻んで入れると良い。水が茄子に被っていないとその部分が変色するから、茄子が隠れる程度に水を入れる。塩加減は自分の好みで、塩辛過ぎたと思えば水を足す。美しく漬け上がった小茄子はこの写真。》
《焼きミョウバンについては、一般のスーパーなどでは探すに苦労する。店員に聞いても、「ミョウバン、明晩?」と知らない店員が多い。ドラッグストアか通販の方が手軽に入手できる。》

 味噌汁の他の副菜には冷凍保存する目刺しを二、三本焼いて添えることもある。常備菜としては”ちりめん山椒”を欠かすこともない。梅干も有るにはあるが食することは稀である。偶には、前夜の副菜の残りを消化しなければならない時もある。

 茶碗に軽く一杯の飯と具沢山な大ぶりの碗一杯の味噌汁という、質素な朝飯であるが不満に思ったことはない。食を摂り終えれば尾籠ながら排便である。障りのない排便には”コップ一杯”の水を起き抜けに飲むことが大切である。起き抜けの水は大腸の蠕動を促し排便を容易にすると聞いてから実行している。朝イチの水はよく効くようで、一杯の水を服用するようになったこの数年、便秘に悩んだことはない。

もう一つ、毎朝忘れてはならない日課に服薬がある。昨年5月の脳梗塞発症以来、主治医に必ず服用するように指示されている「血流保全、血圧低下、インスリン促進、胃酸抑制、帯状疱疹後遺症緩和」の五錠である。これはこれで因果な日課ではある。

 夕べには家人が作る食事の前に仏壇の前に座る。父母、弟、娘の位牌に”挨拶と詫び”を言ってから、線香を点し正信偈を上げる。父母への詫びは、生前に十全の介護ができなかったことを詫びる。何よりも七十のことは七十にならねば、八十のことは八十にならねば分からないと、理屈で分かっていながら、八十過ぎ九十過ぎの父母の気持ちに寄り添うこと乏しかった詫びである。(正信偈は信仰心から詠むのではない、滑舌鍛錬のリハビリの為である。)

 弟へは彼に差し伸べる手が薄かった詫びである。娘には仕事を優先して看護は妻任せにしてろくに見舞いもしなかった詫びである。居なくなったから詫びも言うけれど、今も彼らが生きていれば、父母が寝たきりで存命であれば疎ましく思うことだろうし、弟が存命で厄介ごとを持ち込めば疎ましく思うことだろうし、娘が存命で手が掛かれば定めを呪うこともあるだろう。

 死者は日々に遠去かるもので、母の口癖に「仏ほっとけ、生きているだけで丸儲け」と云うのがあったことを思い出す。彼岸の頃、お盆の頃、何かの節々に母や父のことを思い出す。年ごとに記憶が不鮮明になっているが、それでも記憶の中の父母は生前のままである。その逆にこちらは年々老化を加えている。

母が亡くなった時には24才違いだったが、今は彼女の没年まで15年差となった。年の差が縮まる毎に母の気持ちや父の思いがよく分かるような気がするけれど、全ては私の独り合点なので確かめようもない。家族のこと、親戚のこと、村周りのことなどで、母だったらどうするだろう、何と言うだろうと思うこともある。母の意に添うようにと考えるが、今や”意”そのものが確かめようもない。

彼岸を過ぎて今日は09/29(日曜日)、江川掃除の村出役である。雨が予報されていたから、朝起きて雨だったら出不足料5000円を班長さんまで届けるかと考えていたが、天候は薄曇りだから出かけることにする。どうせ鎌を手に皆の後をついて歩くだけの横着出役である。

《村出役に集まる老若男女の中で、今や茫猿が最年長となった。動力鎌を使った草刈もアメリカンレーキを使った土手の草上げにも参加することはない。剪定鋏と鋸を腰に下げ、手鎌を持って氏神様拝殿前の植込みを手入れするのが常である。かつては植木職を生業とする先輩が鋏を使っていた。その横で何くれとなく教わりながら茫猿も鋏を使っていた。もう十数年も前のことである。》

 数日前にバーミキュラ無水鍋を通販で購入した。鋳物琺瑯鍋#22パールグレーである。まず始めに「自家製野菜の無水調理」をした。クッキングペーパーを敷いた鍋にジャガイモ、ニンジン、サトイモ、タマネギ、サツマイモ、ゴボウを調理した。レシピには無かったが米ナスと冷蔵庫に在ったカシワモモも少し入れた。塩胡椒をして無水で20分弱火加熱。鍋の代価のせいもあってか、家人も納得する旨さだった。

今夜は無水調理豚汁を作った、これが年寄りに優しい”はんなり”した旨さだった。これから無水カレー、ローストビーフ、豚角煮、チキンソテー、ミネストローネ、炊飯や五目飯などなどにチャレンジしてゆく草深包丁である。何よりも「バーミキュラ無水鍋の日」は食事の支度から解放される家人のご機嫌麗しいのが、老夫婦の日常には得難いやすらぎである。

バーミキュラ・オーブンポットラウンドについて
Q.名前の由来について
A.鋳鉄の特殊材質である「コンパクテッド・バーミキュラ」に由来する。コンパクテッド・バーミキュラ材の特徴は、熱伝導率が良く、強度も兼ね備えたハイブリッド材質で、製造管理がシビアな材質といわれている。

《帰去来の井戸》
 今朝目覚めた時に深夜便は「ラジオ文芸館・帰去来の井戸」を流していた。聞くともなく聴いたが、心に染み入る良い朗読だった。

 大学生の由布の伯母、七重が営む雁木亭には不思議な習慣がある。町を出てゆく馴染み客に「帰去来の井戸」の水をひとくちだけ飲ませるのだ。そうすれば、この町を出ても必ずもう一度戻ってこられるという。地球の裏側で死んでも、帰去来の井戸の水を飲んだ人間には迎えの舟が出て、雁木にたどり着くことが出来るというのだ。

 雁木とは、岸壁から海に向って作られた階段状の構造のことをいう。潮の干満の差が大きい海岸では雁木のところに舟をつないでおけば、潮が引いて海面がずっと下がっても段を降りて舟のところまで行ける。 不治の病にかかり、店を閉めることになった七重が由布に伝える不思議な伝説と由布が目撃する幻想的な光景とは・・・。

 

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