金木犀・銀木犀

気づけば金木犀が香る季節となった。数日前に風に流されて来た香りに鼻をくすぐられて気づいた。日差しはまだまだ厳しいし台風の影響もあって蒸し暑い日中であるが、ほのかな甘い香りはもう十月なのだと思わされる。

我が鄙里では今年の金木犀は花付きもまばらだ。これも未だに続く酷暑のせいだろうか。代わりに銀木犀の香りが高い。こちらは枯れ枝の目立つ古木のせいか、いつもは金木犀の香りの陰にあるが、金が弱いので銀が香りたつようである。

《左が金、右が銀の花、銀の方が花が小さく目立たない。》  
     

今朝も四時前に目が覚めてすることもなくパソコンを開いていて、いつしか2010.03から2010.05の「鄙からの発信」を読み返していた。母が病床を離れなくなった三ヶ月ほどの記事である。此の頃の記事には母のことを取り立てて記してはいないけれど、季節の移り変わりを書き留める片々の裏側に当時の私の思いを振り返る。

病床の母の話をベッドの傍に立って聞いてたと思い出すけれど、座って聞くことは無かった。四月くらいから父がベッドの傍に椅子を持ち込んで座り込んでいることが多くなった。母と会話をしている様子は見えず居眠りをしていることの方が多かったように記憶する。

いつぞや帰省していた息子の嫁が私を呼びに来て「毛布は何処にありますか?」と聞くのである。エアコンをかけているのに病人が寒がるのかと不思議だったが、病室に向かいエアコンの温度を上げようとすると、「私でない、オトーサンが風邪をひくといかんで毛布を」と言うのである。

寝たきりになっても、かたわらの椅子で居眠りする90半ばの夫のことを気遣うのかと、驚きもし少しホロリともした。何となく「耕治人・命終三部作」の世界を思わせる出来事だったと記憶する。今夜は「耕治人・命終三部作」を読み返してみよう。

《追記》ネットの世界で耕治人を検索しても通販広告しかヒットしないから、「耕治人・命終三部作」(武蔵野書房刊)の帯評を引用転載しておく。

最後の作品「そうかもしれない」は、衰えた体で病苦に悩みながら、どうしてこれだけのものが書けたのか。一事に集中すると他事を忘れる性質の耕さんには、制作に没頭することが病苦を忘れる最上の方法であったのかも知れない。

休んでは書き、書いては休み、あるかぎりの力をふり絞って書いたにちがいない。もはやそこには見栄も外聞も、恐怖や気兼ねもなくなって、かつてなかったほど頭が澄みわたり、見たまま思い浮かぶままを書きつければ、それがそのまま簡素で壮烈な表現になった。

孤独と貧窮のなかで難病に苦しんだ作家は、そのとき不思議にも罪と穢れから浄化されて、天に昇って消えない星になった。(本多秋五)

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